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#ネタバレ 映画「東京ウィンドオーケストラ」

「東京ウィンドオーケストラ」
2016年作品
「ィ」と「イ」から始まるモノローグ
2017/3/7 9:23 by さくらんぼ(修正あり)


( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

屋久島に「東京ウィンドオーケストラ」を呼ぶつもりが、「東京ウインドオーケストラ」が来てしまった。

これは、そこから始まる「新感覚コメディ!」です。

私には上記の違いがすぐには分かりませんでした。こうやって併記して観察すると「ィ」と「イ」の違いが分かりますが、映画ではあまり並べてはくれませんからね。

コンピューターを使ったことのある人なら、誰でも一度はつまずいた事があるのではないでしょうか。「大文字と小文字の違いをコンピューター君は頑として受け付けない」ことに。彼は「別文字なんだよなぁ…」とでも独りごとを言ってるのでしょう。

人間様の世界でもありますね。普通に話していただけなのに「彼はなぜ、機嫌を損じたの?」「え、そういう意味で言ったんではないんですが…」みたいな行き違いが。私には時々あります。

それだけではなく、今や大統領はツイッターで、将軍様はミサイルでつぶやく時代です。

これは、そんな風に、登場人物のモノローグを忖度する映画。

最初は映画「オケ老人!」みたいな映画かと思いましたが、ずいぶん違います。それよりも映画「天国はまだ遠く」に近いようです。

映画が終わると少しセンチになったのはなぜだか良く分かりません。もしかしたら…つまらぬ昔話はやめておきます。

★★★☆

追記 ( 「屋久杉」のモノローグ ) 
2017/3/8 9:01 by さくらんぼ

それにしてもなぜ「屋久島」なのか、「屋久島」のような離島には、どうしても有名アーティストのコンサートなどは少ないと想像できます。本州・三大都市圏でさえ、かつて「名古屋飛ばし」という言葉があったぐらいですから。

映画には、屋久島の住民が「有名交響楽団と偽ったアマチュア・オーケストラの演奏」にも素直に喜び、アンコールの拍手を始めるシーンがありました。島民のライブ音楽への渇望に、少し胸が痛むシーンです。

でも、ここでは別の解釈を書いておきます。

世に「役不足」⇔「力不足(役が過ぎる)」という言葉があります。

コンサート担当・町役場の女性職員は、演奏者の取り違えというアクシデントの対処には少し「力不足」でした。

アマチュア・オーケストラも有名交響楽団の代役には「力不足」でした。

屋久島の観光名所「縄文杉」さんは、きっと、こうつぶやいていることでしょう。「老人の私一人が屋久島の観光を背負って立つのは役過ぎ(屋久杉)だ」と。すみません。

追記Ⅱ ( 「騙す」 ) 
2017/3/8 9:22 by さくらんぼ

コンサート担当・町役場の女性職員・樋口(中西美帆)は課長と不倫関係にありました。妻を「騙す」関係ですね。

そして樋口は仕事上、住民も騙しました。

アマチュア・オーケストラも成り行きで住民を騙しました。

この映画は「恋愛と仕事が一体化」しており、ともに「騙す」というキーワードで描かれています。

そして「恋愛と仕事が一体化」している点では映画「WOOD JOB!(ウッジョブ)~神去なあなあ日常~」も似ています。

追記Ⅲ ( 縄文杉はかく語りき ) 
2017/3/16 10:23 by さくらんぼ

>コンサート担当・町役場の女性職員は、演奏者の取り違えというアクシデントの対処には少し「力不足」でした。(追記より)

これは役場の職員として、と言いますか、学校で教えてくれるような模範的な正解が出来なかった、という意味です。女性職員は「ウソ」をつき通しましたからね。

もっと詳しく言うと「間違ってしまったことを、すぐ上司に相談し、公にして問題解決を図る」という方法を取らなかったという意味です。映画「アナと雪の女王」の女王のように「自分ひとりの秘密にしようとした」のです。でもミスを隠し通すと、かえって問題が大きくなり、後で後悔することがあります。

しかし世間様には学校で教えてくれるような正解だけがまかり通っているわけではないでしょう。映画「ダーティーハリー」ではないですが、「ダーティーな解」だってあるのです。一か八かに賭ける方法も。

ここで状況を俯瞰してみます。

間違って呼んでしまった楽団はすでに前渡した報酬を使っていました。さらに、「こんなチャンスはないので、ぜひステージに立ちたい」と懇願していました。

彼らの腕前は島の学生たちよりも下手でしたが、大勢の島民たちは、アンコールを求めるシーンがあるぐらいに演奏の良し悪しが分からず、さらに日ごろからコンサートを渇望していたのです。

女性職員と不倫をしている妻子ある課長は、女性職員が楽団アクシデントを相談しようとしたとき、不倫の相談であり「いつまでも遊びじゃイヤ、結婚して!」と言われると勘違いし、「それはしない約束、お前1人で解決しろ!」と逃げてしまいました。

女性職員は唖然とし、「そんな目で私を見てたのか。あんな課長とは、結婚どころか、もう不倫も、楽団の相談もしたくない!」と思ったのです。そして別れを決意します(万が一ミスが公になれば、楽団相談!?から逃げた課長への報復にも…)

そして女性職員にとっても、上手く行けば「自分のミスが隠せる」というメリットがあります。

つまり、このまま「ウソ」をつきとおせば八方丸くおさまる。万一バレて大事になれば…ある意味それも良いかもと、彼女は計算したのかもしれません。

話は変わって島の縄文杉。

たぶん日本中の多くの人は縄文杉の名を知っていますが、見に行く人もいれば、普段忘れている人もいる。縄文杉との関わり方は人それぞれです。それぞれですが、それで万人が上手くおさまっている。

女性職員はさかんに自分と縄文杉が似ていると言っていました。

追記Ⅳ ( これは「データ集計」の話か ) 
2017/3/17 17:33 by さくらんぼ

この映画は「データ集計」をモチーフにしている可能性があります。

「データ集計」、たとえば会計報告をするとき、収入と支出の差は「0」と書きます。

「一か八かのウソ」をついてコンサートをしても、もしバレなければ彼女の責任は問われません「0」。

万人の、それぞれの想いを受け止め、しかし「屋久杉」は微動だにせず「0」、今日も屋久島に立っています。

昨日は役場でデータの集計、今日も役場でデータの集計。たぶん来年の今頃も役場でデータの集計。毎日同じことの繰り返しで、私もいずれ屋久杉になってしまうわ…

(  映画の冒頭とラストで、二度彼女がつぶやくモノローグ。)

追記Ⅴ ( 「エレベーター」 ) 
2017/3/18 9:08 by さくらんぼ

エレベーターの中で、人々が階数表示を見ているのは「データの集中」。

逃げだそうとした楽団と、追いかけてきた女性職員の間にバスの時刻表があるのは、「データに集合」でした。

つまり「人をデータに見立てている」のですね。だからデータの「欠落」は出来ない。

映画の冒頭に女性職員と課長とのちょっとした口論のシーンがありました。

課長「ここが違ってる、ちゃんと説明したでしょ!」

女性職員「聞いてません」

課長「言ったってば!」

女性職員「だから、聞いてません!」

追記Ⅵ ( 一滴の矜持 ) 
2017/3/18 9:18 by さくらんぼ

練習中に上司が視察に来たとき、女性職員は本物の演奏CDを流し、楽団にいわゆる「口パク」をさせました。それに見事騙された上司。

そんなウマイ手があるにもかかわらず、ラストのコンサートでは下手でも楽団員が本物の演奏を提供したのです。実力で騙そうとしたのです。

「ウソ」をつきとおしたこの映画の余韻が意外に爽やかなのは、そこに一滴の「矜持」を感じたからかもしれません。

追記Ⅶ ( 公務員と会社員 ) 
2018/1/18 9:12 by さくらんぼ

>つまり人をデータに見立てているのですね。だからデータの「欠落」は出来ない。(追記Ⅴより)

以前、3.11の津波被害をモチーフにした映画「君の名は。」のレビューを書いた時、私はマイページで「公務員と会社員の思考回路の違い」に言及し、「首長は管轄内の公平を求め、社長は自社の利益を求める」みたいな話を書きました。

それを思いだすと、「データの欠落ができない」とは、ある意味「公平を求めているから」ですね。だとすれば、女性職員は公務員失格ではなく、変化球ではありますが、公務員らしい判断をした事になるのかもしれません。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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