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困難を通じて天へ

2030年 10月5日
アメリカ コロラド州

ロッキー山脈の麓、アスペンでは、夏が終わり、秋が少しづつ色づいて来ていた。
街の木々も緑が赤と黄に塗りつぶされ、道ゆく人々がは厚着を着始める。
空は青く澄んでおり、雲はどこまでも天高い。
山の上では、既に初雪は降っているだろう。

キャシーは、そんな山々に囲まれた街の一角に、たった一人で住んでいた。
彼女は既に80を超える高年だったが、痴呆になる気配もなく、
少し前までは、車さえ軽々運転できてしまうほど元気な老人だった。
にも関わらず、彼女が家から出なかったのは、
少し前に見つかった病気と、そして50年来の客人を待ち構えていたからだった。

コーヒーを飲みながら、ログハウスの中で、過ぎる時間を待つ。
キャシーがしばらく無音の時間を楽しんでいる中、
扉を叩くにしては不規則な「トン、トン」という音が、家の扉から聞こえてきた。
キャシーは、「トン、トン、トン」と更に不規則な音で返事をしてから、扉をゆっくりと開けた。

「あら、ベン、久しぶりね。」
「キャシーさんも、お変わりないようで。」

キャシーは、目の前に現れた老人を懐かしむような目で見上げた。
ベンと呼ばれた老人は、杖をつきながら、ゆっくりと開けられたドアの中に入っていく。

「ボケる気配は一切ないねえ。バターコーヒーを毎日飲んでるから。」
「相変わらず胃が元気なんですね。昔っから教授方を潰してばっかりでしたもんね」
「あの人たちが弱すぎたのよ」
「おっしゃる通りで」

ベンは、キャシーほど高齢ではなかったが、既に70は超えていた。
雪のように白い髪と髭。
膨れ上がった腹が、身長以上に彼を大きく見せていた。
ベンは、太い葉巻を吸いながら、杖をゆっくりと椅子に立てかけた。

「墓参りは済ませたのかい?」
「はい。先ほど、この近くのアレックス教授に挨拶をして一通り」
「そりゃあ良かった」
「土の中にいっちまう人が毎年増えるんで、大変ですよこっちは」
「私もそろそろさね」
「這って出てきそうですね」
「そのままあんたも食っちまうよ」

そう言って、キャシーは己を自虐する。
この年になるとどうしても、老人の自虐が増えてくるのは、もうそれくらいでしか笑いを取れないからだ。
昔はこんなことは言わなかったのにねえ、と、彼女は内心ごちた。

「それで、いつ頃出ます?」
「そのコーヒー飲んだら行こうか。
 夜冷えるだろうから、カイロも準備することさね」
「了解。晴れるといいですね。ちょうどオリオン座流星群の季節ですし」

キャシーは遠くを向いたまま、目を細めているだけだった。



キャサリン・ロビンソンは、宇宙開発の技術者であり、優れた数学者でもあった。
マサチューセッツ州出身の彼女は、裕福な家庭の中で、花よ花よと育てられてきた。
幼少期からピアノやバレエ、バイオリンといった様々な習い事をこなし、様々な才能に秀でていた彼女はしかし、異常なまでの観察力と、大人顔負けの好奇心と、水の波紋のように鋭敏な感受性を持っていた。

どうして花の中には雄蕊と雌蕊を分ける種があるのか。
どうして物語を読むと人の心が動くのか。
どうしてパソコンにプログラムコードを打ち込むと動くようになるのか。

そうした日常の様々な疑問に目を向けながらも、特に彼女が好きだったのは、星だった。
初めは、星にまつわる星座の物語に色を移した。
ただの点でしかない星々を結びつけ、意味を持たせ、文脈を紐づかせる。
ただ見るだけで、物語が思い起こせる、その在り方が好きだった。

そんな中、毎日空を眺めていた彼女は、ある時、星の瞬きが日によって異なることを発見する。
その理由が、大気や地軸の角度、街灯りの大きさといった複数の要素が絡み合っているとわかった時、彼女は、この世が自身の想定など塵と消えてしまうくらい複雑だということを、認識した。
それまでは、ただの物語だった星たちが、膨大な数式と紐づいた。
そうして、彼女はその宙の果てに何があるのかを知りたがる女傑となったのだ。

結果として、彼女は算術に傾倒するようになった。
女の子だった彼女は、周りの大人たちから、「もっとお淑やかになりなさい」と言われていたが、彼女が算術を辞めることはなかった。
数字の面白さに取り憑かれた彼女は、女性にも関わらず飛び級で大学院まで進学し、博士号を取得する。
そのまま念願のNASAにストレートで入り、天才と呼ばれた彼女は、当時アメリカの肝煎りのプロジェクトだった、「ボイジャー計画」に配属された。



「少し前に、肝臓にがんが見つかってね」

キャシーは、そう言って何気ない口調で伝えた。
「・・・そうですか」

山道を走る車は、時速40kmを落とすことはなかった。
ベンの吸う葉巻の先端が、ただ灰になっていく。

「あら、何も言わないのね」
「もう慣れっこなもので」

日の光は傾き始め、紅葉をより赤く照らしあげる。
西日から差し込む夕日が、ベンは煩く感じた。

「・・・どれくらいなんですか?」
「さあね。もしかしたら今日かもしれないね。
 やぶ医者が進行度4って言うもんだからさ」
「・・・」
「まあ、そろそろお役御免なのかしらね。
 どっちにしろ、今日の夜まで生きて来れて良かったわよ。
 そうじゃないと、皆に申し訳が立たないじゃない。」
「・・・その意思の強さは、相変わらずなんですね」

 隣で煙を大きく吐き出しているベンを他所に、
 キャシーは既に星になってしまった彼女の同僚たちのことを思い起こしていた。



「キャシー、君はもう聞いているかもしれないが、このボイジャー計画の目的は、大まかに2つ。
 1つは、今まで撮影することができなかった太陽系の惑星の画像を納めること。
 そして、もう一つは、まだ見ぬ地球外生命体に向けて、メッセージを発信することだ。」
「地球外生命体へのメッセージの発信、ですか・・・?」

それは、念願の宇宙探索に関わることになった私にとっても突拍子もない話だった。
あの合理性の塊の先輩技術者たちが、そんな曖昧な目的のために時間を費やすとは思っても見なかったからだ。

「そうだ。ロマンチックだろう?」

本プロジェクトのリーダーである、アレックス教授が、その膨れ上がった胸筋を張りながら私に問いかけてくる。

「・・・教授、暑苦しいです」
「何、この程度当然だろう。ボイジャーたちは、これから数百年をも超えるかもしれない、ソラの旅に出るのだからな。その中で我々人類が手助けできるのは、たったの53年しかないのだ。」
「それは、原子力電池の寿命・・・ですか?」
「その通りだ。」

そう言って、彼は手に持つ設計図を見て、目を細めた。
その目は、母親の胎の中にいる、生まれてくる前の我が子を見るかのような目だった。

「計画通りに行けば、一号機は2025年の9月。二号機は2030年の10月頃に、地球との更新を切ることになっている。そこから先は、無限のように広がる星間空間を、たった一機で進んで行かなければいけないのだ。」

宇宙の気温は、-270℃。
音もなく、色もなく、周りには手の届かない星の光だけ。
この宇宙はただ広大で、人類には大きすぎる。

「だから、開発者である私たちは、こいつらが宇宙で凍え死なないよう、最大限の熱量を詰め込まないといけないのだよ」

そう言って教授は、ボイジャーの設計図を広げてゆく。
その設計図は、ただ広げるだけで、大会議室を覆ってしまうほどの量だった。
11機にも及ぶ電池。
CPUだけで721.9kgにも及ぶ重量。
地球と交信を取るためのアンテナ。
数百ページにも及ぶその設計図は、その全てが連動しており、もはや一つの生命の設計図かのように見えた。
その中でたった一つ、この宙を飛ぶ船と全く関係ない機構を、キャシーは見つけた。
この機構の意味がわからず、疑問に思っていると、教授こちらを指差し、言葉を続けた。

「そして、このボイジャーには、全人類の叡智を載せるのだ。」
「叡智、ですか?」
「そうだ。先ほど伝えたもう一つのミッション。地球外生命対に向けた、我々人類からのメッセージだ。」

教授の言葉はより熱を帯びていく。

「そのレコードには、この地球の全てを詰め込むのだ。あらゆる言語、あらゆる文化、そしてあらゆる生命の情報を載せて、宙を飛ぶ方舟。それが、ボイジャーなのだ。今お前が持っているそのレコードの図の右上に、名前があるだろう?」

そう言われて、キャシーは資料の右上に目をやった。

「・・・Golden Record」
「そう。ゴールデンレコードこそが、我が人類の叡智であり、地球外生命体への最初のメッセージとなるのだ。」

その時、確かに私の中に、言葉にできない感情が湧き上がってきた。
言葉にはできないが、それが、膨大な熱量を伴っているのは、自分でもわかった。
抑えけてないと、今にでも跳ね飛びそうだ。

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「困難を通じて天へ。それが、ゴールデンレコードに記される唯一のモールス信号であり、このプロジェクトの合言葉だ。」

教授は、その白い歯を胸筋と合わせて見せつけてきた。
やっぱり暑苦しいのは変わらなかった。



そこから先は、地獄のデスマーチだった。
開発中は、何年にもかけてNASAの基地に泊まり込み、家族の元にすら帰らなかった。
プロジェクト途中から追加で開発者として後輩のベンが入ってきて、マネジメントに追われたり、予算の増加や縮小、開発の延期、そしてロシアとの開発競争と様々な困難はあった。
そうした様々な要因の中で、トップの命令が変わることもあり、振り回されることも多かったが、そんなことは、私にとっては些細なことだった。
ボイジャーを飛ばすことだけが、私の熱の全てだった。

その日も設計図と睨めっこしており、夜を通り越して朝になってしまったので、
休憩のために一度自室に戻って寝ようとしていた。
そんな時、不規則に扉を叩く音が聞こえてきた。
私もこの組織に入った当初は、最初は何の嫌がらせかと思ったが、気づいてしまえばなんてことない。
この音は、単なるモールス信号である。

よく耳を傾けて聞いてみると、そんなに複雑ではない単語を繰り返しているだけだった。
- cigarette -
要するに、タバコ、だ。

扉を開けてみると、アレックス教授が、その白い歯を見せながら、「屋上に行こうぜ」と言うジェスチャーをしていた。
その時点で、私の中に悪い予感が生まれていた。



「実は、異動が決まった」

落胆と疑問の感情は、いつだって混ざり合う。
この組織で働く中で、そうした感情との折り合いの付け方も、もう覚えてしまった。

「・・・そうですか」
「なんだ、驚かないのか」
「まあ、そう珍しいことじゃないですから・・・。ちなみにどこに?」
「エイムズのスペースシャトルの方にな」

この時期、NASAの中での最もホットな話題は、スペースシャトルだった。
特に、X-24Bの飛行テストの成功により、大気圏に再突入した宇宙船が水平に着陸することが可能であると証明されて以降、自国は大きな資金をここに投入している。
そのため、現場のエース格が引き抜かれることも多々あった。

「怒ると思ってたんだがな」
と、教授は煙を浮かべていた。

「もう慣れましたので」
心が沈んでいくのを隠したくて、
できるだけ毅然とした態度を取り繕った。

「すまん、と言って終わる問題だとは思わないが、それでもお前には真っ先に伝えておこうと思ってな。」
「・・・嫌な予感は、していたんですが」
「そう言うな。俺は、お前が残ってくれて良かったと思っている。
 実は、今回の異動の話は、最初はお前のところに来ていたんだ。」
「・・・え?」

最初、この人が何を言っているのか、理解ができなかった。

「・・・なんで?」
「何、この中だとお前が一番最年少だからな」

と、教授は、いつもと変わらない白い歯を見せつけてきた。
では、なんだ、この人は、私の代わりに異動することになったのか。
私は思わず、疑念と不安が混ざった目で、彼を睨みつけてしまう。口が半開きなことすらも気がつかなかった。

「まあそんな目をするな。
 もう初期からいる開発メンバーも残り少ない。
 その中で、可能性があるのは、お前だけなんだよ。」
「可能性・・・?」

私は、彼が何を言いたいのか、さっぱり掴めない。

「そう。53年の可能性だ。」

53年。
それが何を指している数字なのかは、ボイジャー開発者たちの中では、1つしかなかった。

「原子力電池の、寿命・・・」
「その通り。2機のボイジャーたちは、53年で、地球との交信を終了する。
 その最期を見ることができる可能性があるのは、お前が一番高いんだ。
 俺はもう50も超えているしな。」

そう言って、教授はもう一度煙を吐き出す。
その匂いは、これから一生脳裏に残るのだと、なぜだか確信できた。

「俺にとっちゃあ、ボイジャーは息子のようなもんだ。」
「だったら、なおさら・・・」
「だからこそだよ。こいつらはいずれ、ヘリオポーズを超え、星間宇宙に到達し、そしてこの広大な宇宙の中で、運命的な出会いを果たすかもしれない。通信ができなくなるその一人立ちの時に、親が全員死んでました、じゃあ、こいつらに不誠実だと思ってな。だからこそ、お前には、こいつらがきちんと飛び上がるまで、計画にいて欲しいんだ。」

それを言われてしまった私に、返す言葉は残っていなかった。
研究一筋だった私にとって、ボイジャーたちは確かに私の自慢の息子たちだった。
誰よりも遠くを旅することが確約された、私の愛しい子供たちだった。

「だから、任せた」

そう言って、彼はいつものように白い歯を見せながら、屋上を去っていった。

天高く青い秋空の下。
気がけば、私は親指を握り込んでいた。




そうして、双子のボイジャーは打ち上がった。

この広く孤独な宇宙を進む航海が始まる。
私は、そして人類は、勇気を、機械の子に託したのだ。




「さあ、着きましたよ。」

ベンが下車を催促する。
今日来たこの場所は、ロッキー山脈の麓から程近く登れる高原であり、キャシーが癌になる前は、毎日通っていた場所でもあった。
空気が澄んでおり、日が落ちた今は、天の川さえも瞳の中だ。

キャシーは、自身の癌がどうなろうと、今日がこの山に登る最後の日だと決めていた。
ベンがラジオを付けると、そこからアナウンサーの声が聞こえてくる。

「こんにちは、みなさん。NASA情報発信局です。
 今日は、オーストラリアのキャンベラ深宇宙通信施設からお伝えいたします。」

彼女は、NASAを定年で退職してからもなお、毎日彼らのことを気にかけていた。
来る日も来る日も、星の見える高原で、息子たちを想っていた。

「みなさん、ボイジャー探査機、と言う言葉を聞いたことがあるでしょうか。
 1977年に打ち上げられてから53年。
 星間宇宙に飛び出し、今もなお、前身を続ける宇宙船です。」

5年前、2025年にはボイジャー1号の電池が切れた。
そして2030年の今日が、ボイジャー2号との、最終通信日となる。

「そのボイジャーの電池が、ついに燃料切れを迎えようとしております。」

ラジオを聴きながら、キャシーは車椅子に座り、天を見上げた。

「今日は、ボイジャーとの最後の通信が行われる日です。」
「ようやく、だわね。」
「長かったですね。」

ベンも、自分が持ってきたキャンプ椅子に座りながら、コーヒーを入れていた。

「本当に、ここまで、あの子たちはよくやって来たわ。」
「そうですね。彼らのやってくれたことの中には、いくつもの新発見があった。」

ラジオからは、これまでのボイジャーたちの発見してきた功績が聞こえてくる。
衛星イオに地球の100倍の活火山があることや、土星の輪が比較的若いということ。
そしてその輪は、いくつもの小天体がの破片が集まってできたものだと言うこと。
そうした多くの発見が、現在の惑星科学を進歩させていく様を、彼女たちは見ていた。

(結局、アレックス教授の言った通りだったわね・・・)

最終的に、無事に生きて今日を迎えることができたのは、
初期メンバーの中ではキャシーのみだった。

彼女以外の他の技術者たちは、既に天に昇ってしまっていた。
あるいは、彼らも星になって、ボイジャーたちの旅路を照らし続けてくれているかもしれないと、そうであればいいと、彼女は思った。

「たった今、ボイジャーからの、最後の受信データの解析が終わりました。
 最後の受信データは、真っ黒な写真です。
 これは、これからボイジャー2号機が進んでいく、広大な宇宙を表しています」

宇宙は、広大で、深遠だ。
人間には到底手が終えるものではない。
それを分かっていながらも、かつて宙を見上げたのは何のためだったのか。
どうして私たちは、彼らに夢を託したのか。

「そして、今、ボイジャー2号機に向けて、最後の命令を発信いたしました。
 只今より3時間後、2号機に搭載されている全ての電池を切り、慣性飛行のみで宇宙を進んで行きます。」

人間の寿命は短く、儚い。
宙を目指す夢を抱いた同志たちは、既に皆去ってしまった。
バトンを渡された私も、既に次の世代に託してしまった。
この身に残るのは、かつての夢の残滓と、それからーーー



「最後の仕事を果たしたボイジャー二号機に、今、NASAでは拍手が沸き起こっています。みんなでボイジャーの旅路を、祈りましょう・・・」

そうして、私はラジオを切った。

「もう切ってしまうんですか?」
「役目は、果たしたわ。」
「・・・そうですね。本当に長い間、お疲れ様でした」
「・・・」

本当に、永い、永い、旅路だった。
私の役目は、これで、終わる。
闘病で苦しむこともなく、静かに、眠ったように死んでいける。
だと言うのにーーー

「トン トン・・・」

声が、どこからともなく、漏れた。
それが、自分の声だと認識したのは、一拍遅れてからだった。

「トン ツー トン トン・・・」

既に気温は氷点下を下回っている。
たった一息で、肺が息切れをしそうなほど苦しい。

「ツー ツー ツー トン・・」 

この老いぼれた目では、かつて恋焦がれた星の瞬きすら霞んでしまうと言うのに。
なお、宙を仰ぎ見ることを止められない。

「トン トン ツー・・・」

声に反応などない。
二人は既に、太陽系を越え、遥か200億kmの彼方。

「トン ツー トン ツー ツー・・・」

無意味だと分かっていても。
それでも。

「ツー ツー ツー トン トン ツー・・・」

この身から、愛が溢れて止まらない。

かつて、自身の夢とプライドを懸けて、必死だった日々。
そこから生まれた、我が子たち。私の全て。
暗くて寒い宇宙を、人類の叡智を載せて、孤独に飛び続けるあなたたちに、敬意を。
その未来に、勇気と希望をーーー



それからどれくらい時間が経ったのか。
一瞬だったようにも、二時間だったようにも感じる。
もう、私の体に、熱は残っていなかった。

「・・・バカね、反応なんてあるわけないじゃない」

そう、一人ごちた。
早々に帰らないと、ベンにも悪い。
私はともかく、彼まで風邪を引いてしまうだろうと思い、立ち上がろうとしたところに。

「そうでも、ないみたいですよ」

と、ベンがポツリと、天を指差して言った。
何を言っているのかと思い、もう一度空を見上げると。

そこには、絶え間ないほど降り注ぐ流星雨が、高原を覆っていた。

「・・・」
自分が、息を呑む音が、聞こえた。

それは、単なるオリオン座流星群。
たまたま季節柄、よく見えるというだけの仕組みだったはずなのに。
職業柄、奇蹟など信じないようになっていたのに。
どうしてーーー。

「どうしても何も、彼らからの挨拶じゃないですかね。
 今まで見守ってくれてありがとう、っていう」

ベンが、まるで心を見透かしたように、言葉を紡ぐ。

「それくらいのお礼、しないといけないと思ったんでしょう。
 この53年、あなたはずっと彼らのことを見守って来たのだから」

流星の尾が、大気の摩擦により点滅する。
それは、モールス信号のように。

一瞬しか空に映らないそれを、私は一つたりとも見逃したくなくて、涙は必死に我慢した。

    a   d
「・- -・・」

流星は、西へ東へ降り注ぐ。

  a        s        t        r          a
「・- ・・・ - ・-・ ・-」

これまでの思い出と、これから宙で会えるあなたを想って。

    p         e        r
「・--・ ・ ・-・」

その孤独を、少しでも癒せるように。

  a         s            p        e       r          a
「・- ・・・ ・--・ ・ ・-・ ・-」

私は、あなたの明かりになるために、天に昇る。









 2030年10月6日 キャサリン・ロビンソン 没

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