青魚淡水
短編集『夏秋』の秋パートです。
夏の終わりから秋の始まりにかけて、書き手3人による短編10作。
三十路を前にしても、わんぱく少年で居ることを捨てられない私にとって「夏休み」という響きはいつの時代も甘美な響きを伴う。ただ、悲しいかなその言葉から連想するものが段々変わってきてしまっていることも、事実だ。 小学校の頃は「おばあちゃん家」、「ラジオ体操」、「自由研究」、「スクールウォーズ」、「大好き五つ子」、「カブトムシ」、「海」、まだまだワードは尽きないが、こんなところで止めておこう。一方、今となっては、「遅くに起床」「できれば旅行」。この二つで尽きる。そう考えると、どこ
2030年 10月5日 アメリカ コロラド州 ロッキー山脈の麓、アスペンでは、夏が終わり、秋が少しづつ色づいて来ていた。 街の木々も緑が赤と黄に塗りつぶされ、道ゆく人々がは厚着を着始める。 空は青く澄んでおり、雲はどこまでも天高い。 山の上では、既に初雪は降っているだろう。 キャシーは、そんな山々に囲まれた街の一角に、たった一人で住んでいた。 彼女は既に80を超える高年だったが、痴呆になる気配もなく、 少し前までは、車さえ軽々運転できてしまうほど元気な老人だった。 にも関
娘が何やら企んでいるらしい。秋の季節が深まり、そして浮つく世間。夜は長くなり、冷たい風は首筋を撫でるようになった。 そう、今日はハロウィン。 子供が、子供らしく、それも男女問わず、好き放題できるそんな季節。 私の実家が多くの布を取り扱っているという理由もあるのだろう。年を経るごとに、娘のハロウィンへの気持ちは強くなっていく。 そうは言っても、結局は仮装して騒ぎたいだけなのだろうけれど。 でも、その輝かしい青春に対して、どうしても眩さを感じてしまう。 私は、ハ
東京に来て、半年が経とうとしている。春と共に上京したので、もう季節は秋だった。 秋めいた井の頭公園を歩く。ところどころでカップルの姿が見える。私には関係ない、と自分に言い聞かせて、ただ歩く。 東京に来て知ったことだが、想像以上に東京には紅葉スポットがある。この井の頭公園もそうだが、明治神宮外苑、新宿御苑、六義園。都心から離れたって、高尾山、奥多摩、秋川渓谷。 私は行き詰った気持ちを整理するために、こうして東京の街を歩くことが好きだった。 「何が芸術の秋だよ」 何
学生時代を思い出す。幾度となくこうして終電を逃して歩いたものだ。 姉はよくタクシーで帰ってきていたらしいが、当時は考えられなかった。社会人になるとそんなに懐というものは潤うのだろうか、なんて考えていた。 潤った。それはもう潤いに潤った。使おうと思えば割と使えるくらいの収入は得ている。 使う時間が無いだけだ。 今日だってタクシーで帰ろうと思ったら帰れた。むしろそんなに痛くはない。 でも明日は久しぶりの休みだから、私は今こうして真夜中の目黒通りと歩いている。
今、俺は我慢をしている。正直、もう限界が近い。現在は会議中だが、最後に御口洗いに入ったのは会議の始まる前だから、もう三時間ほど経つ。離席するのも憚られるが、生理現象を理性で抑えるのにも限界がある。いっそ音に成らないようにしてしまおうか。 「この会議さっきから堂々巡りですよね」 水を打ったように、会議室が静まり返った。 瞬、俺の口から漏れてしまったのかと焦ったが、会議室の面々の視線は俺とは対角に位置する新人の、恐らくまだ社会人二年生ぐらいの女の子に注がれている。確か所
さやかの家に向かう途中、ひとりの不思議なオジサンを見つけた。 そのオジサンは、さやかの家の近くの公園のベンチの横に立っていた。 色鮮やかに、黄色に、紅色に輝くまわりの風景に溶け込まない不気味さを湛えていた。 輪郭がぼやけているような、そんな感じがする。美しく輝く風景画に、一点だけ黒い墨を零してしまった。そんなようなたたずまいで私の視界を捉えていた。 今日は久々にさやかに会おうと思って、こうして歩いていたのに、私の意識からさやかは薄れていった。 薄れていったという感
「…………えて、先に行け!」 教室のドアの前に立つと、中から声が聞こえてきた。思わず立ち止まる。こんな朝早くから誰かいるなんてことは私の高校生活において、あり得ないことだった。 その経験則をもって、この秋晴れに身を任せて、鼻歌交じりに、家で楽しむための銀杏を拾いながら登校したのに。 誰かいるなんて話は聞いていない。 それでも中の様子が気になって、音を立てないように、ドアをそろりと開ける。 教室内の様子が少し伺えるくらいに留めて、隙間から覗く。 「いや……違うな……も
「ママ……私、やっぱり秋が嫌い」 ママは驚いていた。ママはママでも母ではない。働いているお店のママ。店長だし、なんなら、一児の父。 母は、秋にいなくなった。 「なによ、急に。なに泣いてんのよ」 店の裏口で、秋風に吹かれて、美味しそうに煙草をふかしていたママがびっくりしている。 それもそうだ。だって私だってなんで泣いているのか分からないんだから。 樹々は色づき、空は高く、夕暮れに浮かぶ雲は輪郭を持っていて、風は冷たくて、そして私は泣いている。 「これから開店
目を覚ます。嫌な気分になりながら、目を覚ました。 寝汗が、べっとりと身体に、まとわりついている。目覚めて、最初に入った視界を邪魔する前髪は、顔を振ってもはらわれねぇ。汗でくっついて、はらわれねぇ。 「あー、うぜぇ。切ろうかな」 枕元の時計を確認すると、まだ深夜の四時をまわったところで、勿体ない気持ちになりながら、身体を起こす。どうせもう眠れねぇんだよな、こうなると。 「くそ、もったいねぇなぁ」 出社目前に眠くなるのはもうお決まりみたいなモンだから、とりあえずコーヒー
霊峰には、青き竜が住む。 ローヌ川の氾濫。 シオンの夏の嵐。 マンハッターホルンの雪雪崩。 割れた大地も、轟く雷鳴も、 天地の総ては、竜の鼓動となる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー むかしむかし、お花畑のお家に住む、小さな魔法使いの女の子がいました。 名前を、アリア、と言いました。 彼女は一人で暮らしていましたが、彼女は寂しいと思ったことはありません。 なぜならアリアは、妖精とお話することができたからです。 花の妖精、木の妖精と、動
どうも〜こんばんは。渋谷冴絵理です。 うわ、一気に3桁。すごいですね皆さん。ちゃんと寝た方がいいですよ?? 一杯飲んで眠るので、それまでお付き合い下さい。暇なんですよ……ははは。 えーと、なんの話しましょうかね。うーん……あっ、やっと、髪を伸ばせます。何故なら、夏が終わるから。 なんてかしこまってお話を始めても、私のファンの方達はご存知ですよね。夏に短い私の髪を。別にかしこまってもいないか。 新規の方もいらっしゃるでしょうから、細かくお話しましょう。今日の議題はそれに
掴めそうなぐらいまとわりつく、晩夏の夜風。じんわりへばりつくのは汗か湿度か。試しに手を握ってみたが、空を掴むだけだった。窓を閉めて、蚊取り線香に火をつける。別に夏は好きでも嫌いでも無い。これが最後の蚊取り線香だった。 * 秋の境目は今日なのかもしれない、ふとそう思った。 意識していた訳では無かったが、ヒグラシの声をしばらく聴いていない。ただ、蟋蟀や鈴虫も鳴いている様子は無く、じっとりと絡む熱が日々に残っていたので、秋の訪れは実感できないでいた。 今は夏のことが好きで
九月。私はこの月が嫌いだ。 何故なら、ここから冬に向かうから。 秋分の日を境に、日の出日の入りの時間が入れ替わっていく。それは、冬に向かっていくことを表していて、すなわち夜が長くなることを示す。私は、夜が嫌いだから、この季節を恨めしく眺める。眺めるしか、できることは無いから。 幼い頃は、来る朝よりも去り行く夜を愛していた。朝に弱かった私は、朝の到来を憎しみ、夜の持続に心を躍らせていた。なにより、夜は美しくて、神秘に満ちていて、優しかったのだ。 ある日、唐突に気付いた。
松元聡美の話 2017年8月23日 アトピー持ちのカエデが失恋した。あっつい夏場でもずっと長袖を着て、肌を隠していたのに、何かの拍子で見られたらしい。泣きながら私に電話をしてきた。もっとオシャレしたいんだけど、この肌じゃあねって淋しそうに目を伏せるカエデを思い出す。 それでも毎回お洒落をして彼とデートに行ってたことを知ってる私は、許せなかった。かわいいカエデを、どこまでも乙女を自で行くカエデの気持ちを踏みにじったその男を、許せなかった。その男のことはよく知らないけど、カ
夏の終わり、庭園に朝の陽光が差す。 私、アリシアは、その陽の光で目を覚ます。 眠たい眼のまま、窓を開ければ、乾いた風が入り込む。 木々が風にさらわれていく音で、ゆっくりと覚醒した。 9月のヴェネツィアは、庭園で紅茶を飲みたくなる季節だと思う。 ティーポットにお湯を入れ、茶葉が沈む時間を、私は楽しむ。 見渡せば、庭を彩るユウセンギクの花。 庭園を流れる何本もの水路と水の音。 それらを感じながら、紅茶をティーカップに注ぐ。 ボローニャから取り寄せたアールグレイの茶葉の香りは、私