生と、死と、セックス
何度かうとうとと眠りかけたが結局眠れなくて、仕方なくベッドからひとりそっと抜け出した。ベッドサイドの台の上で充電してあったわたしのスマホを手に取り画面を確認すると、もうすぐ四時になろうとしているところだった。ベッドの中のサトルはしずかに寝息を立てて眠っている。部屋にはちょうどよく暖房が効いていて、布団から出ても寒くはなかった。うっすらとついたままの照明のもとで、枕もとに散らばっている下着を探した。撚れて縮まったショーツを広げて足を通した。ブラを付けていなくてもそう居心地が悪いことはないのだが、下に何もつけていないと、なんだかスースーする感じが居心地が悪く、別にすぐに服を着る必要もなかったが、とりあえずショーツだけを履いた。寝る前から流れたままだった有線を、なんとなく消した。部屋に入ったときから流れていた、J-popをインストロメンタルにアレンジしたチャンネルで、当たり障りのない音で聞いたことのあるメロディが流れて続けていた。かなり低い音量で流れていたので、べつにうるさいとは思わなかったが、なんとなく、静かにしたくて、消した。明かりを消すと真っ暗になる、窓のない部屋だが、クローゼットのドアのような戸の向こうには窓がついてた。そっとそのドアを開けると、すりガラスの窓があって、外の光がぼんやりと滲んで映っていた。鍵をおろして少しだけ窓を開けてみると、四月も後半だというのに、ひんやりと冷えた空気が室内に流れ込んできた。山手線の駅のすぐ裏手にあるホテルなので、普段だったらこのくらいの時間でも街はまだ賑わっているはずだったが、人の声も物音も殆どしなくて、ひっそりと静まり返っていた。遠くにトラックのエンジンのような音が聞こえて、それから、雨上がりのカタツムリのように建物の壁に張り付いているエアコンの屋外機のうなりが聞こえた。ビールが飲みたくなって、冷蔵庫のドアをあけて、ボタンを押してプラスティックの蓋を開けて缶ビールを取り出した。コンビニよりもちょっと高い、くらいの値付けで、あまり積極的に支払いたい金額でもなかったが、真夜中にほとんど裸のままでビールが手に入ることを思えば仕方がない、そんなことを思いながら缶のプルタブを引いた。窓を閉めて有線を消した静かな部屋に、カシュっという小気味のいい音が響く。その音でサトルが起きてしまわないようにと、無意識のうちに控えめに開けたのだが、そっとプルタブを引いたところで、それで缶が開くときの音が小さくなったのかどうかはわからなかった。起こしてしまったら可愛そう、というよりも、ひとりで静かにビールを飲みたい、という気持ちからそういうふうに思った。わたしはほんとうにサトルのことを愛しているのかどうか、ときどき、わからなくなるときがある。もう付き合って二年になるし、出会ってからだと四年近くになる。お互いのこともかなり知っていると思うし、居心地がいいから一緒に居続けてきた。このまま付き合い続けていればそのうち結婚するような気もするが、ほんとうにそれでいいのかどうかは、いまだによくわからない。たとえば、彼がもしも突然死んでしまったら、わたしはどうするのだろう。しばらく泣き続けるのだろうか。それからいつか、ふと彼のことを思い出して、悲しくなったりするのだろうか。人は、失われたものにだけ喪失感を感じる。会わなくなった人、会えなくなった人、そういう人たちのことを思い出したときに、心の底から嫌いな相手でも無い限り、悲しみを帯びた喪失感を感じる。さっきセックスをしているとき、唐突に、死、というものを感じた。わたしもサトルもまだ二十代で、ふたりとも特に持病もなく、健康に暮らしている。だから、わたしかサトルが、たとえばもうすぐ死んでしまうということを、セックスの最中に想像したというわけではない。これは当たり前のことだが、死んだ人とセックスすることはできない。死んだ女性を犯すことが好きな性癖の人がいることとか、首を吊ったときに勃起したり射精したりすることがある、というようなことを聞いたことはあるが、もちろんそういうことではない。たとえばサトルが死んでしまったら、いくらサトルのペニスに触れたって勃つことも射精することもないし、もしもわたしが死んでしまったら、いくら性器に触れられたって、濡れることもいくこともなくなる。わかりきったことだが、生きているからセックスすることができるのだ。固くなったサトルの身体の一部を、自分の身体の中に受け入れながら、わたしは生きているということを感じる。セックスをしているときに、生を感じる、ということはいままでにもあったが、きょうは、それは同時に、つまりは死を感じるということでもあるのだということに気付いてしまったような気がした。生きていることの象徴であるはずの行為の最中に、どういうわけか脳裏を概念としての死がよぎって、わたしの上に覆い被さって腰を動かすサトルのことを強く抱きしめながら、わたしは少しだけ泣いてしまった。ちょっと前まで元気だったひとが、あっさり死んでしまう。何年か前にロスから日本に遊びに来ていた、サトルの友達のアジア系アメリカ人のヒンリーが、親戚のおじさんがコロナで死んでしまったと連絡してきた、と数日前にサトルが話していた。世界中で人が死んでいることが連日報じられているし、死者数も日々、更新されていく。若ければ重症化することはない、と言われていたこの感染症だが、持病のない若者が死んだ事例も報じられているし、わたしやサトルが感染して死んだりはしない、という保証もどこにもない。よく冷えたビールの缶は暖かい部屋の中で汗をかいていた。ひんやりと冷たい缶をベッドサイドのテーブルの上に置いて、わたしは枕とヘッドボードの間に埋もれていたサトルのTシャツを着た。ブラはしなかった。ベッドの淵に腰掛け、ビールの缶に浮かんだ水滴を眺めているうちに、すこし心が落ち着いてきたような気がした。特に心が乱れていたというわけでもないとは思うが、それでも、なんだか落ち着かないような感じはしていて、それで眠れなかったのかもしれないと思った。いつものように、あるいは、いつも以上に激しく、サトルを身体のなかに迎え入れたままわたしは絶頂に達して、そのあとで、サトルがラテックスの皮膜越しにわたしの中に精液を放った。ことが終わるとほどなくしてサトルは眠ってしまって、わたしもそのまま隣で横になった。わたしが、死について考えていることを、サトルはおそらく知らないまま、いまも穏やかに眠っている。缶のビールをもう一度手にとって、一口飲んでから、わたしはそっと、布団のなかにまた潜り込んだ。冷たくなったわたしの素足がサトルの脚にふれて、温かく感じた。ベッドサイドの缶の中には、まだビールが残っている。
(2020/04/17 05:54)
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