私には書けないと思ってた。
ものごころついた頃から本を読むのが好きだった。
けれど、感想文が書けない。
「おもしろかったです」
書けるのは、いつもその一行だけ。
そんな小学生だった。
でも小学五年のある日、突然、俳句を詠みだした。
ほんとになんの前触れもなく。
「風薫る 青空のもと 鳥が鳴く」
そのとき詠んだ一句。
俳句という、種類は違えど文章と呼ばれるものを
書けたことがうれしかった。
けれど、やっぱり感想文は書けなかった。
俳句と感想文、まったく違うものだと今ならよくわかる。
けれど、あの頃そんなことはわからなくて
なんで俳句は詠めても感想文は書けないのか?
どうしてみんな、あんなに何枚も書けるのか?
原稿用紙にびっしり何枚も感想文を書いている同級生たちを見て
――私は文才がないんだ。
そう確信した。
作文も感想文と同じでほとんど書けない。
でも、俳句や短歌は詠める。
そんな中学生になった頃
――小説を書きたい。
本読みなら一度は考えたことがあるんじゃないか?
というのは言い過ぎかもしれないけど
とりあえず私はそう思った。
書き方なんてわからない。
とにかく、無我夢中で書いた。
ミステリーばかり読んでいたので、書くのももちろんミステリー。
というか、小説といえばミステリーしかない。
そう思い込んでいた。
そんな驚くほど偏ったまま高校生になったある日
私は書くのをやめた。
理由はいたって簡単。
才能がないから。
書いていたものは、小説とはとても呼べないものばかり。
文章の羅列としても読むに耐えない。
なまじ読書量だけは豊富で目は肥えている。
作品にすらなっていないものを書いてることが、耐えられなかった。
だからどれも途中で投げ出していた。
書くからには古今東西に残る名作に匹敵するものを!
それが出来ないなら書く資格はない!
思い出すだけで笑ってしまうが、当時は本気でそう思っていた。
けれど、ふつふつと沸きあがる“書きたい”という欲求。
それを「愚か」と斬り捨てる自尊心。
――どうせ、書いても作家にはなれない。
そもそも作家になろうと思っていたわけではなくて
ただ書きたいから書いていたのだけれど
失敗するくらいなら、やらない。
長文を書くのは私には向かない。
なんなら俳句も短歌も得意なんだから、
それでいいじゃないか。
そうやってお茶を濁し
自尊心を保とうとしていたのだと思う。
そして月日は流れ
肥大化した自尊心を抱えた私は三十路もとうに過ぎていた。
そんな五月のある日、突然、小説を書きだした。
ほんとになんの前触れもなく。
それが『水たまりの空』
書きたいという欲求のおもむくまま一心不乱に書いた。
踊りだしそうになるほど楽しかった。
小説を書きたいと思って無我夢中で書いていた頃
上手く書けているかなんてどうでもよくて
ただ書きたくて、ただただ楽しかった。
いつしか、上手な文章を書くことが目的になって
なにを書きたいのか、なんのために書いてるのか
わからなくなっていった。
俳句には型がある。
五七五、そして季語もある。
かぎられた文字数のなかに世界をつくる。
数多ある言葉をパズルのように組み合わせてつくる
たった十七文字のちいさくて深遠な世界。
型があるから文才がない私でも詠むことが出来る。
だから俳句を詠むんだ。
そう言い聞かせていたけれど
俳句を詠みつづけていたのは単純に楽しかったからだ。
つまり私はどんな形でも
言葉で世界をつくるのが好きなんだ。
それに気がつけばあとはもう書くだけ。
技巧を凝らした上手い文章じゃなくていい。
もちろんミステリーじゃなくていい。
失敗かどうかなんて書いてみなきゃわからない。
そもそも失敗の定義は?
長編が無理なら短編、掌編でいいじゃないか。
ただ書きたいことを最後まで書く。
才能は……多分ない。
けれど小説らしきものをこの五ヶ月で二つ書き終えた。
そして今も三作目を書いている。
一作品も書き上げられなかった十代の数年と
書くことすら出来なかったこの二十年に比べれば
上出来過ぎるほど上出来だ。
小説は私には書けないと思ってた。
けれど書きだしてしまえば、なんてことはない。
必要だったのは自分が書きたいものを
ただ書くことだけだった。
書けなかったんじゃなくて、書かなかった。
ただ、それだけ。
けれど、どう頑張ってみても
感想文はいまだにさっぱり書けない。
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