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長編|ルナティック・リフレイン①




 学院の門を後にし、アリアは静かな帰路を辿りながら一人歩いていた。昼下がりの柔らかな陽光が、金色に染まりかけた空と重なり、街並みは穏やかな静けさに包まれている。遠くの山々が淡い紫色に染まり、風が木々を揺らしながら運んできた香りが、アリアの心を少しだけ安らげさせる。彼女は足を速めたくなったが、その足取りが自然と遅くなる。なぜか、学院からの帰り道がやけに長く感じられた。

 アリアは学院の制服を身にまとっている自分に、嫌でも目がいく。細かいディテールが、今までの日常と全く違うことを無理やり自分に突きつけている。白いシャツに青いスカート、そこにほんの少しの違和感が彼女を苦しめた。
 それは魔法学院に通うことが特別なことであり、この町では決して普通ではないことを、他人に伝えているような気がしていた。

 「魔法を持つ者」として、アリアは他の誰とも違う存在だ。だけどそんな特別な立場に、彼女は戸惑っていた。
 なぜなら、彼女が住んでいる町では天賦魔才を持たない者ばかりだからだ。アリアは魔法を自分の特別さとして受け入れなければならないのだろうかと、胸の中に漠然とした不安が込み上げてきた。

 歩く速度を少し落とし、ふと街角の古びた家々に目を向ける。自分の足元に注意を払いながらも、アリアは立ち止まって一呼吸ついた。
 今、自分が歩いている道も、家も、すべてが心地よい。静かで温かみがあって、この街はアリアにとって心の拠り所だった。しかし、そこに魔法を使える自分がいることが、どこか引き裂かれるような感覚を呼び起こしている。

「ああ、こんな気持ちじゃダメだ……」
 アリアは小さく呟くと、力を込めて歩き始めた。自分にそう言い聞かせて、心を奮い立たせようとする。しかし、不安はなかなか消えてはくれない。

 家に着くと、玄関を開けた瞬間、柔らかな声がアリアを迎えた。
「アリア、帰ったの?」
 その声に、アリアはほっと息をついた。疲れた顔を見せずに微笑みながら、声の主ーー祖母に返事をした。
「ただいま、おばあちゃん。」

 家の中は、温かな空気で満たされている。祖母の小さな声に、アリアは胸が温かくなるのを感じた。しかし、祖母はアリアの顔をじっと見つめると、少しだけ心配そうな目を細めた。

「新しい学校は大丈夫そう?」
 祖母の目線に、ほんのわずかな不安を感じ取ったアリアは、軽く肩をすくめながら答えた。
「うん、大丈夫だよ。ちょっと緊張してたけど、友達もできそうだし頑張ってみる」

 その言葉に、祖母は少し安心したように微笑んだ。手を軽く伸ばして、アリアの髪を撫でながら「そうか、そういうならきっと大丈夫だろうね」と、穏やかな声で言った。
 アリアはその優しさに、どこか胸が締め付けられるような気がして、少しだけ目を伏せた。

「でも、もし疲れたら無理せず言いなさい」
 祖母の言葉が、まるで暖かな毛布のようにアリアを包み込む。それでも、アリアの心の中で不安は消えることなく、次の日のことが気になって仕方なかった。

 翌日、朝日が差し込む部屋の中でアリアは目を覚ました。いつもより少し早く起き、まだ慣れない制服を着て、祖母と一緒に朝食を取る。軽くパンをかじりながら、アリアは改めて、今日という日を迎え入れる決意を固めた。

「行ってきます、おばあちゃん」
 アリアは笑顔を作りながら言うと、玄関を出て、再び学院に向かう道を歩き始めた。

 町を歩いていると、すれ違う人々の視線が痛いほど感じられた。アリアの服装が、町では浮いて見えるのだろう。彼女が魔法を持つ者であることは、ここではそれほど珍しいことなのだ。足音が響くたびに、その目線がアリアを追ってくるような気がして少し胸が苦しくなる。彼女は肩をすくめながらも、心の中で自分に言い聞かせた。

「大丈夫、私はただの魔法使いじゃない。特別な力を持ってるから学院にいるんだ」

 アリアは何度もその言葉を繰り返しながら、学院の校舎が見えてくるのを感じた。大きな校舎が青空の下で輝いている。その壮大な姿に少しだけ勇気をもらう。そして少し胸を張って、足を速めて歩き出した。その瞬間、不安が少しだけ消えた気がした。

 学院に到着すると、アリアは緊張しながらも教室へと向かう廊下を歩いた。教室の前に立ち、心を落ち着けようとして深呼吸を一つ。扉を開けるとすでに数人の生徒が座っており、アリアの姿を見ると視線が集まった。彼女はその視線に少し戸惑いながらも、ゆっくりと席に向かう。

「おはようございます」
 アリアは、緊張しながらも、みんなに向かって軽く頭を下げた。すると、教室にいた生徒たちがそれぞれ自己紹介を始めた。自己紹介は昨日もあったものの、聞いた名前と天賦魔才は大して記憶に残っていない。

 最初に立ったのは、少し派手な見た目の男の子、カイルだった。彼は髪をサラサラと揺らしながら、元気よく言った。
「おはよう、俺はカイルだ!みんなよろしくな!」
 カイルは背が高く、体格も良い。長い金髪を無造作に束ねていて、その顔立ちはどこか放浪者のような自由な雰囲気を漂わせている。特に印象的なのは、彼の目が常に冷静であり、周囲の感情を見透かすような鋭さを持っていることだ。

 次に声を上げたのは、クールな雰囲気を持つ黒髪の女の子だった。彼女は少し遠慮がちな様子で、穏やかに言った。
「ルナです。よろしくお願いします」
 ルナは黒髪を肩まで切りそろえており、緑色の瞳が鋭い印象を与える。彼女は無駄のない服装と落ち着いた雰囲気を持っているが、どこか秘密めいた空気も漂わせている。何か過去に起きたことがあるのだろうか、という気配を感じさせる。

 その後、立ち上がった彼女はやや小柄で、可愛らしい外見をしているが、その眼差しは非常に鋭い。
 「私はミリーナ。よろしくね」
 ミリーナはその言葉に続いて、笑顔を見せたが、どこか知的な印象を与える眼鏡をかけている。服装はきちんとした制服に、常にノートを手にしているのが特徴的だ。

 そして、アリアの番が来た。彼女は緊張しながらも、全員を見回して一言。
「アリアです。改めて、今日からよろしくお願いします」
 その声は少し震えていたが、皆が温かく迎えてくれた。

 席に座ると、すぐに教室の扉が静かに開いて担任のアンドレが姿を現した。アンドレの存在はただその一歩で、教室の空気を一変させるような圧倒的なものだった。
「では、改めて挨拶は終わったな」
 アンドレが低く、しかし力強い声で言うと、教室の空気がピンと張りつめ、全員がその言葉に耳を傾けた。

 彼は身長が高くて肩幅が広く、どこか鋭さを感じさせる厳つい顔立ちをしているが、その目には言葉では表現できないほどの深みが宿っている。まるでその瞳に見つめられると、時間が止まるような気さえした。
 時折、彼の視線は教室全体を見守るように広がり、生徒一人一人を瞬時に感じ取っているかのように、周囲の空気が一変する。どこか遠くを見つめているようでありながら、目の前の生徒たち一人ひとりにしっかりと意識を向けているその目線には、深い責任感がにじみ出ていた。

 アンドレは静かに、教室へと足を踏み入れると、教室内の緊張感がわずかに和らいだ。その姿勢には何か、硬さの中にも優しさを感じさせる、無言の威厳が漂っていた。
 彼は軽く手を叩き、パラパラと音を立てながら時間割を手に取る。その手の動き一つ一つが、まるで何か儀式のように思えた。彼が持っている時間割は、ただの紙切れに過ぎないはずなのに、それがまるで運命を握る鍵のように感じられた。

「今日から魔法学院の基本的な授業が始まる」

 アンドレが続けて言い、その言葉は、まるでこれから起こるすべての出来事に対して予兆のように響く。

「まずは時間割を渡すから、確認しておけ」

 その言葉に、教室中の生徒たちが一斉に身を乗り出して、時間割を受け取る準備をする。

 アリアもその一員として、手を伸ばし、アンドレから渡された時間割を受け取った。彼女の手は少し震えていたが、それでもしっかりとそれを掴み、目を通す。
 その中に書かれていたのは基本的な時間割と、週二回で個々の能力に合わせた専門的な魔法の授業があるという内容だった。その文字を目で追いながら、アリアは深く息を吸い込み、心の中で静かに呟いた。
「やっぱり、天賦魔才能を伸ばすことが大事なんだな……」

 彼女はその言葉を一人でつぶやきながら、その授業が始まることで自分の世界がどれほど変わるのかを感じ取っていた。
 魔法を使う力を持って生まれた自分が、この魔法学院でどんな道を歩むことになるのか、胸が高鳴ると同時に、少しの不安も湧き上がる。しかし、彼女はその不安を今は抱きしめて、受け入れる準備をしていた。

 その時、アンドレの声が再び響いた。
「さて、では早速、魔法の基本から始めようか。準備はいいか?」
 その問いかけには、全ての生徒に向けての挑戦状のようなものが込められているように感じられた。

 アンドレの瞳が一人ひとりを見渡し、特にアリアをじっと見つめたような気がして、彼女は軽く頷きながらも心を引き締める。
 その瞬間、彼女の中で何かが確かに動き、熱いものが込み上げてきた。それは不安ではなく、むしろ新しい扉を開く瞬間に感じる、冒険への期待だった。この先どんな魔法を学び、どんな力を手にすることになるのか、アリアはそのすべてを受け入れようと決意した。
 そして、これから始まる授業が自分の人生にどんな変化をもたらすのか。その答えを見つけるために、彼女は一歩踏み出す覚悟を決めた。


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