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ヒロイズムでは語れない原発事故作業員の家族とその後

『完全版 チェルノブイリの祈り――未来の物語』 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ (著), 松本 妙子 (翻訳)(単行本 – 2021)

一九八六年四月二六日、その事故は起こった。人間の想像力をこえる巨大な惨事に遭遇した人びとが語る個人的な体験、その切なる声と願いを、作家は被災地での丹念な取材により書きとめる。消防士の夫を看取る妻、事故処理にあたる兵士、汚染地に留まりつづける老婆――。旧版より約一・七倍の増補改訂が施された完全版。

原子力というパンドラの箱を開けてしまった人類の声。そこに「希望」の文字は残っているのだろうか?最初が原発事故の火事を無謀にも消火作業にあったった消防士の妻の声。お腹には赤ちゃん。愛の叫び。その声が木霊する。夫を放射能発生物体と看護婦に言われ、現に二次感染(伝染病でもないが?)で看護婦も亡くなって、面倒を見るみる人がいなくなって兵士がやってきた。お腹の赤ちゃんも体内被曝。除染作業員や兵士のヒロイズムを掻き立てる国家と隠蔽される被爆者たち。

事故処理作業の妻であり5歳の息子がいる声を持ってきたのはスベトラーナ・アレクシエービッチの立場を鮮明にしている。その前にある子供たちの声も耳を澄まさなければ聴くことができない囁きだが大人以上にチェルノブイリを語っている声の集積だ。いじめ、死に囲まれている子供たち、それを静かに受け入れる子供。それでも子供たちには未来の祈りもあるのだ。

チェルノブイリの周辺の声を集めたドキュメンタリーだが構成も見事だ。退避命令を出された住民が残したペットを殺さないで!の文字の後に入ってく猟師たちとか。放射能の残務処理に来た兵士と土地から出ないおばあさんとの対比。事故後10年でソ連が崩壊して民族対立が出てきた頃の生々しい証言もある。彼らが人が住まなくなったチェルノブイリに難民としてやってくる。放射能よりも人間のほうが怖い。一つの回答があるわけでもなくアナーキーな混乱した世界。

フクシマ以前だったらソ連だったからと言えたかもしれないけど、すでに他人事でもないフクシマの状況。日本でも見られる似たような隠蔽の状況と置き去りにされたフクシマがある。そこではさらに酷い隠蔽工作がなされているだろうか。そうした声も、もうあまり聞かれなくなってしまったのか、声を聞こうともしないのか、問われる我々である。


関連書籍

『戦争は女の顔をしていない』 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

『ボタン穴から見た戦争ー白ロシアの子供たちの証言 』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ


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