
年取っても「センチメンタルジャーニー」
『文庫 センチメンタルジャーニー: ある詩人の生涯』北村太郎
荒地派詩人が赤裸々に綴った回想の記。絶筆。
戦後現代詩を代表する荒地派の詩人・北村太郎が、
自らの生い立ちから最晩年までを赤裸々に語った未完の自伝。
懐かしい少年時代、詩へのめざめ、突然の妻の事故死、晩年の恋、
詩誌「荒地」の詩人たちの肖像などが、鋭い批評とともに綴られる。
第二部では、病に冒された詩人の語りを詩人の正津勉氏が書き起こし、
北村太郎の語り口そのものがうかがえる異色の自伝となっている。
「生涯ひたすらに感覚を繊細にしつづけ言葉を厳密にしてきた詩人」(正津氏)の絶筆の書である。
解説:正津勉
目次
第1部(幼少年時;投稿時代;ルナ・クラブ参加;第二次大戦)
第2部
戦後詩人で「荒地派」北村太郎の自伝。高校生ぐらいから詩を書き始めた早熟の詩人が性格の違う酔っぱらい詩人の田村隆一と知り合ったり、「荒地派」時代の鮎川信夫や黒田三郎、中桐雅夫らとの出会いや想い出、ラムラ隆一、黒田三郎、中桐雅夫は三大酔っぱらい詩人だった。
北村太郎は田村隆一とは学生詩人仲間で仲がよかったようだが、晩年には三角関係の恋のライバルだった(『荒地の恋』)。田村隆一の名前は出してないが解説で明らかにされる。最初の妻子を海難事故で亡くす話は始めて知った。ドラマで富田靖子が好演してた妻は二度目の妻だったんだ。不倫事件で島尾敏雄『死の棘』状態だったとか。
鮎川信夫は兄貴分的な「荒地派」の中心人物で、戦時中に詩人も翼賛体制だったのが戦後になって、その空白の時代から若手を啓蒙しなければいけないというのに反発して、「荒地派」はそういうことはしなかった、啓蒙される方はお前たちだろうと論戦を張ったようだ。その中に吉本隆明とか加わってくるのかな。
中桐雅夫もそういう詩を書いたことで外されたことがあったというが、北村たちにとっては詩のテクニックを教えてくれた校長先生のような存在だったと。最後はアル中で自殺するように亡くなっていくのをドラマでも描いていた。
一番不思議なのは田村隆一とのコンビかな。その上に鮎川信夫がいるという感じで戦後詩の重要な役割を「荒地派」は果たすが、高度成長期で日本人が豊かになると「荒地派」の役目は終わっていたというのは吉本隆明の弁。それでも北村太郎は五十過ぎから田村隆一の妻と不倫して、それが詩人として良かったのか、「荒地派」でも一人だけ真面目な性格だったのだが、その恋愛事件で大きく変わったようだ(狂気の愛?)。
第二部は正津勉の聞き書きで、北村太郎の自伝をやりましょうという編集者がいたのだが、彼が亡くなって、北村太郎も愚図な性格なのでなかなか進まずそのうちに北村太郎も病気になり余命幾ばくかのなかで出来てた自伝だという。北村太郎のチャーミングさは詩の中に隠しメッセージが書かれていて、それは海軍の暗号解読(と言ってもアメリカの暗号はほとんど解読出来なかったという)の仕事をしていたので、そういうのが得意なのかもしれない。ほとんど読んでいるこっちが恥ずかしくなるようなラブ・メッセージなのだ。
「センチメンタル」という題は感情ということで感傷ではないということなのだが、感覚の問題だという。