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シン・俳句レッスン181




現代俳句

もう2月号が届いたのだが『現代俳句2025年1月号』の選句をしたいと思う。1月号は新年号だからか名のしれた俳人が多い。

しぐれて二人月面にいるようじゃないか 鈴木明

七五八だからぎりぎり定型だという。五七でも七五でもいいということなのか?意味不明。月面に時雨なんてないだろう。これは象徴句なんだな。月面が二人だけの世界というような。結句の口語体がポイントか?「よう」だから直喩だった。「いるごとく」との違いは何だ?軽い感じか。令和の軽さか?「いるごとく」では重いわな。浮遊感があるかもしれない。ふわふわと。

一月へ砂の女のパトスかな 宮坂静生

男の方がパトスという感じがするのだが、安部公房ブームもあって今風だろか?砂の女のパトスとは、作品「砂の女」の安部公房のパトスなのかな。一月へは、それにあやかりたいとか?一月に出たのではないよな。冬の感じか。極北文学。雪かきのイメージもあるのかもしれない。

稜線は巨人の背骨年立てる 堀田季何

日本列島の姿だろうか?デビルマンでそういう怪獣が出てきたよな。「年立てる」が季語か?「新年になる」という意味だった。稜線は山の神に見立てているのか。南アルプスとかの風景とか。

雪に濡れた靴下を脱ぐもう会わない 神野紗希

ちょっとエロスを感じる句だな。雪道をやってきたのに喧嘩わかれしたみたいな。靴下は忘れっぱなしとか。それだけ怒って、濡れた靴下を投げつけたとか。

芭蕉の風景

小澤實『芭蕉の風景下』から第五章「おくのほそ道」から。以前に下は少しやっていた。

木鳥 きつつきも庵はやぶらず夏木立 芭蕉

『おくのほそ道』

夏木立の句は今では当たり前のように作られるが芭蕉の句は何か違うのだろうか。まずこの句も本歌取りになっているということ。

竪横の五尺にたらぬ草の庵結ぶもくやし雨なかばせり 佛頂和尚

五尺は1.5メートルだから一般の大人の身長より狭い庵なのだ。しかし、それにもかかわらず籠もるのは修行のためなのだろうと思うのだが、雨に文句を言う。芭蕉は仏頂和尚から直接聞いたのだという。そして芭蕉は和しているということだった。ただ芭蕉の句の環境は理想的なのかもしれない。自然の困難よりも人の手による居心地の良さか。啄木鳥さえもその静寂はやぶれないということなのか。夏木立だけどけっこう強い句だった。

すでに仏頂和尚の庵は藪になっていたそうである。

草の庵藪蚊も住まう草茫々 宿仮

茫々は芭蕉と仏頂の亡霊か?人よりも自然の優位さを詠んでみた。

野を横に馬 ひきむけよほとヽぎす 芭蕉

芭蕉の「ほととぎす」好きの句。「ほととぎす」は夏の季語だが、強いイメージがある。血を吐き続けても鳴き続けるという正岡子規のイメージ。馬をそちらの方向に向けるとはかつての戦国武将の方向へということ。「ほととぎす」はあの世の鳥でもあるのだ。その野というのは黒羽で浄法寺図書という人(弟子筋)の家に逗留していたという。その弟子たち感謝しながら次の地に向けて命令形にしたという。

翼竜やまだ見ぬ怪鳥ほととぎす 宿仮

ほととぎすのイメージが恐竜時代の翼竜とかのイメージなのはその模様とか声とか。付きすぎか。

石の香や夏草赤く露あつし 芭蕉

曽良『随行日記』

芭蕉は匂いに敏感なんだよな。「石の香」なんて気にしないが言われると夏のイメージだった。そうか匂い→視覚→触覚となっているのか。さすがだな。しかし、この句は『おくのほそ道』には収められなかった。陸奥に石の名句が多かった為だという。詰め込みすぎと言う意見も。

梅の香や飛び立つ鳥糞暖かし 宿仮

芭蕉に鶯の糞の句があったな。

鶯や餅に糞する縁の先 芭蕉

田一枚植えて立ち去る柳かな 芭蕉

『おくのほそ道』

この句は好きなんだよな。西行の

道のべに清水流るヽ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ 西行

の歌の本歌取り。田植えをしている早乙女を眺めて立ち去ったという。西行のことを詠んでいるのだろうか?そして、芭蕉も西行と一緒に立ち去ったかもしれない。遊行柳は幽霊柳。

幽霊の西行柳やシテ芭蕉 宿仮

能の「西行柳」を芭蕉が舞う。「西行桜」はあるけど「西行柳」はフィクションだと思ったが「芭蕉」という能があったとは。

風流の初やおくの田植うた 芭蕉

『おくのほそ道』

芭蕉は古歌を本歌取りとして古きを訪ねていくのだが、同時に田植うたのような現在のうたにも注目するのだ。それが「不易流行」。西行の歌と田植うた。

ラッパーは芭蕉リメイク五七五 宿仮

世の人の見付けぬ花や軒の栗 芭蕉

『おくのほそ道』

栗の花の嫌な匂いを詠んだのかと思ったら可伸という僧侶を訪ねての句だという。隠棲している可伸の偉大さと栗の花の美をわからないだろうという歌。栗は実になると昔から栄養価の高い穀物として愛されていたということなのか。花より実だと思う。

栗の花嫌っていても栗は好き 宿仮

もうだれてきた。

江戸川柳で読む平家物語

如月

塚本邦雄『華句麗句 俳句の扉』から。この本は面白かった。カレンダーどおりに塚本邦雄が選定した俳句が出ているのだが、睦月(一月)は終わってしまったので如月(二月)から。

「風花」。塚本邦雄に言わせると「かざばな」と濁るのはもってのほかで、煤煙に汚れた雪が舞っているように感じるそうなのである。でも「風」で濁っているし都会人はそれでいいのかなとも思う。

風花の遊ぶや奈良の刃物店 澤木欣一

刃物と冷たい感覚と雪の冷たさの取り合わせ。これは濁らない方がいいかも。

風花や眼があおあおと宣教師 前田多加男

濁るとモルモン教みたいになるのか?

あられ」。 みぞれとの違いは?

より雪に近い感じか。雹と寒い順番だと 霰→雹→霙かな。塚本によると、雹はぶっしつけで粗雑、霙は逆に神経質でねっちこい感じで、霰がサバサバした寒さでいいという。

木曽殿に遅參責めらる玉霰 田中水櫻

父母未生以前の闇が雪降らす 本田滄浪

ネット検索してもよくわからない俳人だった。滄浪「そうろう」と読むのだと思うが。

ふりむきし顔の夜長の灯くらがり 長谷川素逝

長谷川素逝も読みが難しいな。

二月二日生まれの寒の男だという。

冬の花に「寒牡丹」や「寒椿」のほうが元の花より寒さを感じるという。寒菊もそうか。緋寒桜とか。

寒牡丹あと繼ぎて吹く蕾なし 津田淸子

塚本邦雄は旧字が多いから嫌い。でもこの句は津田淸子だと思うと思いれが深いな。

昔男ありけりわれ等都鳥 冨安風生

都鳥も冬鳥だという。水鳥系は冬鳥が多いのか?鵜は夏だった。鵜飼と関係するのか?白が冬のイメージなのか?白鷺も夏だった。よくわからんな。

ワープする波紋の中に泳ぐ鴨 宿仮

これは名句だとおもったんだけどな。今日の一句。

如月やストリップ ババも厚着する 宿仮

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