シン・短歌レッス122
王朝百首
紀貫之の歌は情緒よりも理知的な部分があるという。それがあえて「水無き空に」とことわる部分であろうか?「なごり」は「名残」より「余波(なごり)」であるという。「天のさざ波」が「あった花」ではなく「失われた花」の幻想という部分は塚本邦雄らしい解釈か?つまり華やか日々を回想しているという情況なのだ。それが理知なる言葉で歌を構築していく紀貫之の言葉。
西行
辻邦生『西行花伝』
「五の帖」、「六の帖」。西行が語る観桜の宴での待賢門院(たいけんもんいん)璋子との出来事。この女院がとんでもなくエロスの女王という感じで白河院と関係して崇徳を産ませたり(後鳥羽院の后なのだ)、そんなこところに西行の雅な愛欲の世界が浮島の世界のように漂うのである。一方で平清盛の言う力の世界があるのだが、清盛が言うには見えざる力というもの(神の力のような)に支配されているから、なかなか権力者(公家)たちは侮れないというのだ。それに同調したかに見えた従兄弟の憲康の突然死。それが出家の理由だという。
「藐姑射(ほこや)が峰」は流鏑馬などをしていた北面の武士時代か?花は院の観桜の宴の思い出だろうか?そういう雅な生活を捨てて出家しようというのである。
義清二十三歳で出家した。
短歌と真言 栗田勇
『現代にとって短歌とはなにか』から批評、栗田勇「短歌と真言」。
「真言」というのは空海の思想を現しているのだが、それは仏教的思想が日本古来の和歌の中に見出すというような。漢字が仏教と共に日本に入ってくると表意文字から表音文字として仮名文字として『万葉集』などに書き言葉として使用される。それは貴族なら呪術的な歌として庶民なら東歌に代表される生活や恋の歌として培われてくる。それが聖と俗という歌の二面性を表す。
そうした和歌が西行から歌僧として庶民に伝わったのは西行が高野山(空海)の「真言」を歌で伝えようとして、それが連歌師や芭蕉に伝わっていく俳諧の世界だった。
和歌の「真言」というのは仏教的なものが日本古来の呪術と繋がって空海の密教的現世利益として、和歌がひろまったのではないか?そんなことを言っているのかもしれない。栗田勇の論理は難しい。近代の近代詩がボードレールのような象徴詩によって短歌に与えた影響とか。「見者」という言葉。
それを末法思想の中の鎌倉時代に現れた西行を始めとする歌僧の系譜は「見者」というような世紀末の中で彼岸と幻想世界の此岸を見出していくのである。西行の中にある無常観は、「見者」の思想として受け継がれていく。
参考サイト
現代短歌史
篠弘『現代短歌史Ⅱ前衛短歌の時代』から「塚本邦雄の飛躍」。
現代短歌の革命児とされる塚本邦雄も最初から受け入れられたのではなかった。『装飾楽句(カデンツァ)』は、クラシックのソリストが超絶技巧の楽章を披露するように、この歌集でも超絶技巧のテクニックが施されている。それは先にあった難解短歌という葛原たち女性短歌への同調を示すものだったのか?
塚本邦雄の反論によると戦後歌壇のリアリズム短歌(近藤芳美など)は、規定の歌風に満足しすぎて精神的なものがないという批評だった。ただその日の生活をなんの疑いもなく詠めばいいのかという、現実の醜悪さから目をそむけている。そのへんは塚本のフランス象徴詩人(ボードレール、マラルメ)の影響なのか。とくに象徴性というその言葉の彼岸性にかけるというような意気込み。それは安楽と短歌を読む歌壇とは明らかに違っていたのだが、塚本の評価が高まるのも批評性においてだったと思う。しかし、今となっては塚本邦雄の短歌も歌壇の主流の一つになっているような気がする(難解すぎる)。難解派はけっこう多い歌壇だよな。
『短歌研究 2024年3月号』作品
田中槐「もつと東へ」
塚本邦雄系列の感じがする。
同年代だった。やはり終(つい)の住処ということを考える年代になってくるのか?百箱は書物関係が多いのだろうなと予測させる。
高速バスが終の住処へ移る感じなのかな。
マリンライナーに乗ったのかな?またバスなのか?四国は憧れるな。また行きたくなる。
5時間は早いな。高速バスなのか?青春18きっぷだと1日はかかる。逆だった徳島から東京への引っ越しなんだ。なんでわざわざ暮らしにくいところを?
地名の固有名が多いのは移動の歌だからか?旅の歌でもないけど。
題名が「もつと東へ」だった。日常詠になるのかな。ただ旅の様子がロードムービー的で好感は持てる。
大井学「ヴァリエーション──「楽遊」」
これこそ塚本邦雄系譜の難解短歌だな。漢詩の李商隠「楽遊」のエピローグから難解そうだ。勉学に楽遊したというようなノスタルジーの世界なのか?
最初のエピローグが難解だと思ったがそうでもなかった。
老教授の回想というような歌だな。
これが初恋の相手だったら頭にくるけど、若かりし頃の自分自身だろうな。
太宰『右大臣実朝』のパロディなんだろうな。物理学部?
母思いの歌は共感出来る。
消えた子供を想像するのか?軍手が落ちていて労働者を想像するとか?
最後金八先生かと思ってしまった。♪~暮れなずむ~
佐藤モニカ「灰色の猫」
俵万智タイプかな?
小島ゆかり「くりすますのくじ引き」とかぶるな。こっちは田舎の風景だけど。
この歌だけで内輪性が出ていると思ってしまう。イソヒヨドリはヒヨドリじゃねーじゃないか。
南島なんだろか、そんな島暮らしに憧れる。マンゴスチンは日本には輸入禁止でタイで食べれるらしい。
アメリカ基地の島なんだな。社会詠になってきた。
丸木位里、俊は画家の名前だった。丸木位里は土地の名前かと思ってしまった。検索すれば難しい歌ではないんだが。
これがポイントとなる歌かな。
昔行ったのだが船が激しく揺れてクジラよりもゲーゲー吐いていた。これは短歌に出来るな。
ここにも来ないけど。クリスマスは階級制度だ!
抱けるペットがいるだけ幸せだと思う。
小佐野彈「鎖骨のましろ」
恵まれすぎの人生だな。「ましろ」という言い方が歌人っぽくって気に食わん。
「シーズンイン」が何のシーズンだかわからない。「七日ぽつちでぽつきり折れて」というのは手術をしたのだから、入院ということなのかな?
「汝(な)」という言い方がカッコつけすぎ。軽い感じの短歌だな。
口語体は句跨りとか字余りとかしてもらいたかったな。定形で攻めるんかい!みたいな。まあ、手術が定形みたいなものなんだろうか?
癌の切除手術とかなのかな?けっこう過剰表現なような気がしないでもない。でもそれほどの手術だったのかもしれないな。
喜劇性を感じるが。婆さんを喜劇にするんじゃない!呪われるぞ。
なんでここでは「真つ白な」になるんだ。定形に合わしているのか。その姿勢が駄目。
なんだスキーで骨折したのか?自業自得だ。軽い歌だった。
北山あさひ「うるせえドライヤー」
タイトルは惹かれる。「まひるの」の歌人は多い。
この人は横書きでもOKの人いうか、横書きなんだろうな。
能登沖地震の感想だろうか?問題発言だとは思うがそれを歌にしているんで、オブラートに包まれている感じなのかな。「星座が街を点検している」という表現は意味不明だ。神の視線ということか?
初詣かなんかの情景かな。リフレインが斬新。また定形に収まらないネガティブさも◯。
このへんはチョコレート世代なのか?
これ好きかもしれない。月光仮面の紋章の三日月。そうだ昨日の夜の三日月は良かった。
遊んでいるな。月光仮面のおじさんが解決してくれるだろう。
壮大な字余りなのか?「」の中はワンセンテンスでいいと思うこの頃。リフレインも定形を無効かすると思っている。だからこれを分析すると
定形じゃない短歌のリズムになっているのだ。独自解釈。
映画短歌だけど。「雪の上をポテトチップの袋がすべる」は秀逸だな。残像っぽい。
なんかいいのは定形じゃないからかな?うつさい感じがいいのかもしれない。生きている限り人はうるさい。
定形もどきだけどリズム的には七七が収まっているからいいのか?最初が7音だけど、許容の範囲。
疲れた。今日はココまで・
映画短歌
今日は、『オスカー・ピーターソン』ばりに超絶技巧短歌に挑戦しようかな。塚本邦雄のあの歌だ。
本歌
句跨り時事詠映画の感想音韻で決めた!
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