晩春の花しぼむ際咲き誇る 娘微笑み父はこときれ
『晩春』。小津監督と原節子が初めてコンビを組んだ「紀子」三部作の最初の作品。この後に『麦秋』『東京物語』と続くのである。この父親役の笠智衆は56歳だった。いつの間にか笠智衆が年下になっていたのでちょっとショックな映画鑑賞(感傷的な)。まあ、『東京物語』ではまたずっと年上の役になっているのだけれども。
原節子は長身だから座るシーンが多いのか?他の女優と頭ひとつ大きい感じだ。笠智衆よりも大きく見える。実際は同じぐらいの背だが。この紀子は最初感じが悪いんだ。原節子も綺麗かもしれないが可愛くはない(そういう役柄なんだけど)。友人役の月丘夢路の方が好みだった。月丘夢路はコメディアンヌ的な役で笑いを誘う。そこがどことなくいいホームドラマになっている。それとやはり杉村春子のお節介な叔母さん役。ドラマとしては母が亡くなり父と娘の二人暮らしの間に漂う結婚話。どことなくチェーホフ『桜の園』みたいな、家族離散の物語なのかもと思った。
娘の結婚という関係性は今考えると小津と原節子の関係みたいだ。結局、父親は結婚せず娘を嫁に出したわけだが、ひとり残された父の孤独が際立っている映画だ。最後のリンゴの皮を剥くシーンで、一気に年を取ってしまう笠智衆の見せ方は素晴らしい。
映画の中の時間、原節子の表情の変化が一つの見所になっている。歌舞伎を観るシーンでの父の見合い相手とされる女性を見ての感情の出し方。能面(般若)を被ったような怖い顔を見せる。その表情が京都で父と一緒に枕を並べるシーンで、一変する。結婚を決意して、父親の理想通りの娘になるのだ。表情も柔らかくなり、いい娘に豹変する。
そこが壺だった。実際にモンタージュとして壺を挟むのだ。その壺の解釈について色々な意見があるようだが、私はファンタジーとしての魔法の壺、父親=小津のファンタジーとしての娘のあり方。その夢物語だと思う。娘が結婚を告げると父親はいびきをかいてねてしまう。そこで壺がそのいびきを夢物語として吸収していくのである。
そしてラストの結婚のシーンの娘の挨拶。そこで父親世代の男は理想の娘、原節子を観るのだ。そのあとにコメディアンヌとしての月丘夢路が良いデザートになっている。
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