「第二芸術論」ではなく「第二の性」(ボーボワール)を読んだほうがいいのじゃないのか?
『俳句が文学になるとき』仁平勝
近代俳句の前提
折口信夫は日本の王朝文学史を「女房文学から隠者の文学へ」の視点で捉えた。そのことに留意するならば短歌・俳句の源流は大衆文化の韻律性の中あるのではなく、そこから切り離された韻律が生んだものが五七五七七の形であり、それは七五調のリズムが生み出すものとは対極であるという。
七五調のリズムにあるのは「抜刀隊」のような軍歌や童謡の歌であり、それは詩ではなく歌という大衆性を含んでいた。むしろ、近代詩の始まりの新体詩はそうした大衆性の律を求めていたのである。
正岡子規
正岡子規の写生は、文学を諦めたところから始めた。それは当時俳句は桑原武夫の言うように「第二芸術論」なのだ。それまで和歌にはまだ文学的なものに未練があり雅なものとされていたが、俳句(発句)はその模倣であり和歌の貴族や武士の雅に対して、町民の俗からはじまったものとされる。
その大衆的な意識がある中で、正岡子規の俳句が写生ということをいい出しすが、子規らしくなってくるのは病後ということであった。そこにアイデンティティを求める文学に対する諦念というものがあるから自己を自然(もの)の中へ消すというような。
正岡子規の俳句がすべていいわけでもなく、『獺祭書屋俳句帖抄上巻』には凡作も多いという。
子規が芭蕉や『源氏物語』から導かれて句作したのがよくわかる(まだ文学に未練があるのだ)。そこにとりわけ新しさはないと言う。子規は絵画の手法から俳句の写生と技法を学んだ。この写生は言うほど簡単ではなかったのだ。ただ子規の方法論としては『獺祭書屋俳句帖抄上巻』の収録句を四季立てで分けて古典詩(『古今集』から学んだのだろうか?)からの影響を明確にしていく。
この句も写生句であるというよりは日本画的の掛け軸のようでもあり、まだ子規の本領は出てこないという。
この句は「春風」という伝統的な季語に「赤し歯磨粉」という現代(モダン)なものを対置させたことで日本画よりは西洋画(油絵的なのか)になっているという。この句で子規は二物の配合というものを掴んでいたという。春風に赤という色は絵画では出せないが俳句の特徴を示した写生だという。
さらに赤が際立ってくる。筑波の山にたいしての赤蜻蛉という配合。「なかりけり」は子規の感動を駄目推し。それ以上に筑波と赤蜻蛉の配合が勝っている。
この句では病気で外に出られないが「尋ねけり」が能動の「いくたび」で動的な映像になっているのだ。これはそのたびごとに雪の深さが変化していく様を読んだ名句だという。写生というよりも子規の想像の中の観念世界に雪が降り積もっていく情景を表しているのだ。「いくたびも」が写生という。そこに他者との問答の積み重ねがあり、妹の存在が隠されているような気がする。そういう気配としての奥深さがこの句にはあるのだ。
この句からはその影の気配が感じられない。
ここには詠み手の子規の視線があるのだった。
そう碧梧桐に手紙を送ったという。しかしその陰に気配が感じられる名句を残していた。それはもう文学と言ってもいいかもしれない。
「高浜虚子『五百句』──客観写生から花鳥諷詠」
正岡子規の俳句は、文学を諦めたところから、始めたとあったが、しかし文学をあきらめたわけではなかった。それは俳句を研究しつくしたところで、過去の古典俳諧と訣別するために写生という概念を持ち出す。
子規と虚子の「夕顔」についての考え方の違い。子規はそこから『源氏物語』のような古典文学を排除して「写生」することだけを求めた(『新古今集』不定派だから俊成の歌論には反発したのかもしれない)。それに対して虚子は季題という古典文学の持つ力を否定せずに、そのイメージを借りることによって俳句の表現が拡がると考えていた。それは亜流の文学のままでいいということなのか、特に俳句を学問にするには反対だったのは虚子の方なのだ。
そこが根本的に俳句に志を求める革新者である子規と二番煎じ(第二芸術論)でいいとする虚子の違いがあるようだ。
この俳句は「枯野」という季語が持つ力(季題)によって、そこに日の光がスポットライトのように当たる映画のワンシーンのような誰もが持つ郷愁を感じさせる。ただの写実的な俳句とは違っているのだが、それが写生をさらに極めた「客観写生」となっていくとする。
「客観写生」は虚子のスローガンの一つになった。さらに花鳥諷詠という季題がもう一つの重要な要素であり季語がなければ俳句にならないと考えた。都会を読むにしても季語を入れることで俳句になるのであって、都会美を排除するものではなかったという。ただそこに日本古来の伝統文学として保守性が都会的な無季俳句とは対立しあっていく。
浮き草の葉が水面では繋がっているのは「春の水」という季題の力であり、その驚きと喜びを俳句としての水面に浮く葉として現れたのである。例えばただ写生をした俳句との違いを見ると明らかである。
この句がつまらない(と仁平勝はいうのだが)のはイデオロギーもなくただ描写した「ただごと俳句」だからだという。
「写生の目的」として季語の「空想的趣味」を取り入れるということで子規の写生とは対立していくのだ。
この句はさらにいいとするが、普通の人は「萍(うきくさ)」はルビがないと読めないので意味が掴めないと思うが。それに「萍(うきくさ)」は夏の季語であり晩涼と季重なりになるではないか?このへんがよくわからない。つまり季語にこだわる必要はないと思ってしまう。植物を詠めばたいてい季語に当たる。つまり植物が入ると季重なりになりやすいということだ。だったら特別に季題にこだわらなくてもいいのではないかと思うのだった。
もう一つ子規は虚子が人事を詠むことを好まなかったという。子規は人よりも花鳥諷詠だったのだ。しかし虚子は花鳥諷詠よりも人を詠み込むのが好きなのだという。それは花鳥諷詠に自身の「生活」を詠み込むことで近代俳句の意義(個人趣味的なものか)を見出したからだという。それは虚子だけではなく、子規の晩年にもあったのではないのか?
この情景は現代ではあまり見られないが虚子のいた近代にはよく見られた生活句であるとする。それは戦時になっても庶民の暮らしは不変のものであるというのだが、そうとも言えないような気がする。だったらパレスチナの歴史性はどうなんだろうか?戦時にも俳人は庶民の俳句を自由に詠めたとは思えない。
決定的な虚子嫌いなのは、やはり女性に対する俳句なのだと思う。
フェミニズムどうのこうのよりも、そういう差別蔑視が隠せないのが虚子なのだと思う。そういう手本とする俳句の未来はあるのだろうか?と思ってしまう。
技術論としてよりも人として虚子が好きになれないのかもしれない。文学ってそういうことだとも思ってしまう。
「杉田久女『杉田久女句集』──女流のいる場所」
まず「女流」と書いてしまうことがアウト!だった。そこにあきらかに偏見がある者だと伺われる。女流に対して「男性俳人」と書いているから流儀みたいな。ただ貴族に対して上流階級の和歌と書いているので(俳句は下流意識か?)、そう言う意味を含んでいるのかもしれない。第二の性の第二芸術論みたいな。
これは理屈だから駄目句という。「教師妻」を卑下しているからという。この季語は「足袋つぐ」なのか。冬籠りというような。「足袋」が冬の季語だった。破れた足袋を縫っているのである。「ノラ」にはイプセン『人形の家』のヒロインの意味もあるけど「野良」の意味も含んでいるのではないのか?足袋の世界が句会などに出かける雅な世界としてあり、「ノラ」は俗な世界だ。その繋がりに教師妻という自身の身の置所があるような。ここでは「ノラ」という新しき女のポーズを取っている女(「青鞜」のように)とするのだが「ノラ」を限定的に読みすぎのような気がする。素直に裸足になって外に出たい女としての「野良」ともならずというふうにも読める。むしろノラを知らない人は野良として読むではないか?理屈で思考しているのは、仁平勝も同じで、それが理屈だから駄目というのは偏見意外のナニモノでもない。理屈の句などいくらでもあるのである。
ただそこに理屈を超えた感情の世界があるのである。杉田久女の句にもそれはあると思う。そこにある主婦失格という(それは久女の意志の現れとして「ならず」)という言葉があるので自嘲という女流ということなのだという。そもそも俳句が和歌の発句から始まり、自嘲するしかない俗っぽさにあるとしたら、それは俗っぽい女流俳人というものになろとした杉田久女なのかもしれない。
女流俳句を望んだのは虚子の「台所俳句」からだという。それはセールス(「ホトトギス」の売上)の問題で主婦層を狙った虚子の戦略だった。その流れに載って投稿したのが久女の句だ。
まな板の上の鯉ではなく鯛だった。師走は師が忙しく走るということわざの意味があるとして、そこに虚子を見てしまう。まな板の鯛は久女かもしれない。どう料理(批評)してもいいという句だろうか?ただしこれらの習作は「杉田久女句集」には掲載されてないという。
久女が自選したのはこの句である。台所の影もない。むしろ乙女の夢のような甘い句だという。そこに「長まつげ」という夢を追う女の姿が目に浮かぶような。「長まつげ」は「付けまつげ」だろう。化粧をする女は目を見開いているのである。なかなかの句だと思う。仁平勝は尼になってひなびた庵に引きこもっている女の句と読むのだが、どうだろうか?つけまつ毛した女が引きこもるのか?
これも鮮やかな久女の名句である。外出から戻ってきた女が着替えると紐がいろいろ脱ぎ捨ててあるのだ。この紐は生き物(蛇)のように絡み合っている欲望を感じてしまう。
この句を傑作というのがよくわからない。中七「濁り初めたる」がいいという。濁りは生活感みたいなものか(仁平勝の褒め方に生活感というのがある)。朝顔は雅な姿だが濁りはじめたるはしぼんでいく様子なのか。それなのに市の空。という曇り空なんだろうか?よくわからない句だった。
この句も貶されていた。出来合いの言葉のイメージであるという。もともと言葉自体が出来合いのもので、それで表現するのだから当たり前だと思うのだが。これがステレオタイプだというのなら『銀河鉄道の夜』もそうなんだろうな。銀河濃しは「天の川」のイメージではなく「ミルキー・ウェイ」の感じか。「銀河」が聖なるイメージで、「救ひ得たりし子の命」は俗っぽい母の願いだ。しかし子は銀河の一粒になっていくのだ。たぶん、そのときに詠まれた「長女チプス入院 十二句」という連句だから他にもあるのだ。とりわけこれだけ取り出してみてもという気がする。
やはり七夕に童話を読んでいることから、それは宮沢賢治かもしれない。そして全快したというオチまであった。俗っぽいんだよ、母親なんて。
仁平勝が好きなのはこういう生活臭のした抒情的な句だった。それが女流俳人というイメージを本人の頭に勝手に作っていくのだろう。
久女安定期の句だという。瀬戸は「瀬戸の花嫁」を思い出すような保守的な地域。逆潮はそれに逆行していくという感じか、それでも船がたどり着くのが「瀬戸の春」という安定した場所だった。
他人の不幸は甘い汁的な句だろうか?穏やかといえばおだやかな句である。ただ久女の句歴の中で読むからだからと思う。普通の主婦がこんな句を読んでもありきたりだと思うのではないのか(今なら一層)。
読めない漢字があるが久女があっちの世界へ行ってしまったような気持ちになるのは俗な言葉が一つもないのだ。久女という俗っぽさが持ち味のエネルギーみたいなもの。すべて言葉に負けているように思える。
この句が一番久女らしいか。谺は虚子の谺かと思う。
全盛時の時鳥か一気に下降線上の時鳥だった。もう絶唱と言ってもいいぐらいのほととぎす(白鳥の歌だった)。