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老荘も糞尿譚も兜太あり

金子兜太×池田澄子『兜太百句を読む。』 (百句他解シリーズ)

最初に好きになった俳人が金子兜太だった。最初に俳句に興味を持たせてくれた、いとうせいこうとの共著『他流試合――俳句入門真剣勝負!』は、伊藤園「おーい、お茶俳句大賞」の審査委員の二人が俳句の理念について語り合う本で面白かった。

けれども、金子兜太の俳句理念は頭で理解したつもりでも金子兜太の俳句を読んではいなかった。ただ前衛俳句というところで好きだったのかもしれない。金子兜太の俳句の本を何冊か読んだが今ひとつ掴み損なっていたように思う。

そんなところを池田澄子が読み手として金子兜太の俳句を上手く引き出している。彼女の読みが素晴らしいので、金子兜太も口が軽やかで一句一句の想い出や俳人仲間からの評価などを述べている。金子兜太の中にある大らかさと土着性みたいなもの。それは頭で考える理論的な俳句だけではなく、絶えず身体的なものが前提としてある。性の問題だったり生活ということであったり。

まず前衛俳句と言っても極端に前衛というのではないのかな、と思うのは、定型句が多いのとけっして無季ばかりの句でもないような。フリージャズとか聴いていると前衛ジャズでも音楽の根源性(ラディカリズム)を求める民族派みたいなジャンルがあるのだが(ドン・チェリーみたいな。ジャズで喩えるとわからなくなるな)、なんかそんな風な感じがする。

それは金子兜太は秩父という土地柄が反中央集権的な、例えば秩父事件の秩父困民党とかの流れの末裔的な権力に対しての反発心を感じている。その中にあるアニミズム。金子兜太は「生き物感覚」と呼んでいるが。

曼珠沙華どれも腹出し秩父の子  『少年』

ひいーツと泣く女刻々と飢饉  『詩経國風』

その奥底には老荘思想がある。

白梅や老子無心の旅に住む  『生長』

これが第一作だと。そこから「定住漂白」という言葉を導き出す。

老子は幽かに坐っていた。
はてしもない旅ではある、
無心にして無為。

芭蕉は親し一茶は嬉し夜の長し  『両神』

芭蕉は俳句の理念だという。そして一茶を誰よりも愛する。

木曽のなあ木曽の炭馬並び糞る  『少年』

金子兜太の父も俳人であり『秩父音頭』を作った人でもあった。そういう影響で歌謡的な素養もある。また人間の生理現象を積極的に俳句の中に取り入れるスタイル。

青草に尿(いばり)燦燦敵機来る  『金子兜太句集』

トラック島(南方戦線)での戦争体験も金子兜太を形作ったことだった。

被弾のパンの樹島民の赤子泣くあたり  『金子兜太句集』

金子兜太というと真っ先にそんな戦争俳句を思い出す。

死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む  『少年』

海の俳句も多いのだが、この戦争の記憶があるのかもしれない。

暗闇の下山くちびるぶ厚くし  『少年』

福島から神戸へ転勤する時の句。山は精神的なものとして金子兜太の句を形作っている。金子兜太は俳句だけで生きていたわけではなく銀行員として会社員として生活の中で俳句を作っていた。そんな銀行員時代の俳句は社会詠として戦時と繋がっているのだ。

朝始まる海へ突込む鴎の死  『金子兜太句集』

そうした労働者との連帯は、理念だけではなく生活俳句でもあるということだ。下ネタが多いのもそうした生きていることの現れとして身体を詠む。

まら振り洗う裸海上労働済む  『少年』

そうした中から前衛俳句的な情景も出てくる。

湾曲し火傷し爆心地のマラソン  『金子兜太句集』

金子兜太の身体に対しての憧れのようなものはスポーツ選手に感じるのかもしれない。

二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり  『暗緑地誌』

ちょっと今だと危ないような俳句も。時代性だろうか?

樹といれば少女ざわざわ繁殖せり  『暗緑地誌』

俳句についての句も多い。

秋の家鴨の尻をみており定形愛す

その中で生理現象を噴出させる言葉は、理知型の俳人にはない大胆さがある。

長寿の母うんこのようにわれを産みぬ  『日常』



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