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シン・短歌レッスン153

文芸選評


今回は短歌で、テーマは「時計」。選者は歌人の伊波真人さん。司会は石井かおるアナウンサーです。

第二句集を制作中で現在的な固有名詞を使って同時代に共感を得ようとする。ちょっと安易過ぎないか?ティファールとかの歌。迎合のような気がする。

ティファールにあまたの宇宙産むようにポップコーンは弾けつづけて 伊波真人

ティファールのフライパンでポップコーンを作ったということだろうか?

持久走で周回遅れの僕はもう長針に抜かされる短針

入選作これは上手いと思った。

ズレまくる体内時計は「百年の孤独」そこまで夢見、そこで事切れ やどかり

山中智恵子

川野里子『七十年の孤独』から山中智恵子の短歌。
山中智恵子は巫女的な保守的な歌人だと思っていたらちょっと事情は違うようだった。

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ 山中智恵子

日本の詩歌は鎮魂の歌ということで、山中美智子が鎮魂歌を詠んでいるのである。その鎮魂するものが何かというと鳥髪という「反王権の情念」であり、「土着の人々の信仰」だったのだ。それは1968年に発表されたこの歌が安保闘争と関連していることは無視できないという。

大君のみことばよりも かなしくて真穂の三輪川七曲がりなす 山中智恵子
三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや

『三輪山伝承』の 百襲 ももそ姫は王権を負いつつ三輪山の土着神に向いていた。反権力の土着神を鎮魂しつつ自ら命を絶って祈祷したという。

その問ひを負へよ夕日はくだ ちゆき幻日のごと青旗なびく 山中智恵子

「青旗」は勝者の旗ではなく敗者の旗と捉える。例えば道浦母都子の歌に通じる。

明日あると信じて来たる屋上に旗となるまで立ちつくすべし 道浦母都子

ただ安保闘争が反権力よりも反米となることで先の戦争体験の鎮魂として懐かしき天皇制を呼び覚ますのだ。それは前衛短歌のあり方でもそうなのだが、歌というものが持つ古来からの形式は天皇制から逃れ得ないということかもしれない。そこにすでに滅びてしまった天皇制を詠むのだった。それは歌というものが天皇制の元での国民としての共有財産だからという。いつから国民になったのだろうか?これではナショナリズムに組み込まれてしまうような。

天皇制はいかにあるべき大喪の 誄歌 るいか流れて氷雨降るとき 山中智恵子

誄歌は日本古来の歌の形が天皇の大喪のときに歌を詠むことだという。そこにあえてこのような古語(すでに絶滅したコトバ)を使うこと自体が我々の感性からかけ離れているような。




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