見出し画像

異世界の着せ替え人形雛流し

肩が痛い。四十肩なんだが六十過ぎても四十肩というんだろうか。六十肩なんて聞いたことがないし。これは単なる肩凝りなのか。季節の変節によるものだと思うが、四十肩のように肩が上がらないというのではないな。昨日傘もさせていたんだし。

帰りに大雨だったが行きは小雨なので出かけた。朝映画館を予約したため。予約してから後悔する。こんな雨の日は家にいるべきだと。ただ家で十月の俳句をまとめていたときにビニール傘の句があり、その映像が欲しいと思って出かけた。以前撮ったのがあると思ったのだが見つからなかった。俳句と短歌のまとめを単柵メーターで作成しているのだが、なかなか捗らない。パソコンの容量不足もあるのか、途中で固まってしまったり、そしてまた再起動しなければならなかったりと。俳句と短歌のレッスンも今日はやらなければならないな。今日はNHKの番組があるので引きこもる予定。

雨の日に映画館に行ったのだがいつもより混雑していた。まあ、土曜日ということもあるのだが、話題の映画『侍タイムトリッパー』だったこともあるのかも。評判がいいので、上映館が増えたというニュースもあるぐらい。人から人へというのは『カメラを止めるな!』に似ているかもしれない。両方とも映画制作の話だった。「カメ止め」(通っぽい言い方)はゾンビ映画を低予算で作りながらそこに家族の関係を描くのだが映画スタッフも疑似家族的なのが『侍タイムトリッパー』だろうか?

衰退していく時代劇の中で大部屋と言われるところにいる斬られ役の役者にスポットを当てて、彼の活躍を描くのだが映画館の中がアットホーム的な盛り上がりを見せているのは、最近の日本の映画の鑑賞の仕方も観客一体型になってきているのか?インド映画だと客席で踊るとか物語の中に入って主人公を応援するとか。最近は応援上映とか絶叫上映とかもあり、映画館が観客参加型を求めてたりする。

『侍タイムトリッパー』はそうした意図があるわけではなく、昔の喜劇映画で客席が笑い、最後は拍手まであった。それは正月映画の寅さん映画とか、日本の娯楽作品としてのエンタメ映画のスタイルなのだが、『侍タイムトリッパー』が当たったのは映画作りの情熱が感じられるからだろうか。

「タイムトラベラー」物で会津藩の侍が現代にタイムスリップする設定も面白い。会津藩は維新勢力(江戸から明治の近代化へ)に負け組というのも共感を得やすくなっている。実際に現在にタイムスリップしてくるのも侍としての特技はそれほど役立たず、時代劇の斬られ役に生きることを見出すのだ。役立たずの侍が昔ながらの礼儀作法や儒教的な精神(論語を殺陣師の師匠に暗証してみせる)を持って、負け組の会津藩の侍が勝ち組の維新の侍に出会うのだが、彼も斬られ役から初めて大スターになったという設定なのだが「時代劇」の斜陽化で捨てて大スターの道を選んだとされる(本当は違う理由があって主役で斬る役に耐えられなかった。そこにかつての敵である男を見出すのだ)。

映画作りの娯楽作品であり主人公に共感を持ちやすく(現代に右往左往する迷子な人)疑似家族の雰囲気があるから、これほどの人気の映画になったのだと思う。まあ雨の日だったけど観て良かった映画だった。

映画を見る前に約束の図書館。三冊も返却本があったのは以前借りた本が混ざっているからで詩の本は、鮎川信夫を一応卒業して、昨日は『パレスチナ詩集』とか借りてきた。日本の詩人たちと何が切実に違うのだろうか?と興味を持った。国が奪われそこに言葉しかないとしたら。日本では考えにくい状況なのだが。また『漢詩百首』という漢詩のアンソロジーも借りた。唐詩選の入門書を探したのだがこの本が目についたので。

図書館を出てネットカフェで読書。土曜日は「ウィークエンドサンシャイン」があった。ジョニ・ミッチェルの特集。

ジョニ・ミッチェルは『ミンガス』でジャズ・ミュージシャンと共演しているので好きなアーティストだった。ベーシストのジャコは元彼というようような。音楽的にも深い結び付きがありジョニのギターはチューニングが彼女の音感で合わせてあるので、正規のコードとはズレているのだが、それを普通のベーシストに求めようとすると彼女とは合わせられない。そんなときにジャコが自由なハーモニーでジョニの歌心を射止めたというわけだった。ジャコとのアルバムは『ミンガス』よりもその前の『ドンファンのじゃじゃ馬娘』がいい。自由を手にしたジョニの音楽といういう感じがする。

ネットカフェでハン・ガン『別れを告げない』を少し読む。済州島の出身の彼女が指の切断という大怪我をしたところからはじまるのだが、痛みの共有という「光州事件」の拷問され死んだ者たちと指を切断した女性が共感を語るシーンがあるのだ。ハン・ガンの小説特有の痛みの共有というけっこうハードな描写なのだが、そこから済州島の吹雪の島へ行くことになる作家。怪我をした友人から鳥の面倒を見るように頼まれるのだが、この辺も面白い。鳥はただのペットなのだが、この小説では象徴になっている。多分自由に羽ばたく籠の鳥みたいな。それは彼女の姿なのだ。

もう一冊歌集で穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』。穂村弘のチューニングの相手というのが「手紙魔まみ」でそれは雪舟えまなんだが、穂村弘がジョニだとしたら雪舟えまはジャコだったという関係。

穂村弘の短歌はけっこう自由だったのだが、さらに「手紙魔まみ」という他者のコトバが入ることでそこは『不思議な国のアリス』になるのだった。アリスが穂村弘で、案内役のウサギが「手紙魔まみ」だろうか?そして彼女が連れて来る「ウサギ」や「妹」のコトバの中に擬似家族的な関係があり、穂村弘はそこに巻き込まれていくのだった。「夏の引っ越し」から逆転している「雪の世界」でそこが「アリス・イン・ワンダーランド」の世界だった。

私小説的短歌なのだがポップな物語が漫画的な「ガーリー少女」というベティ・ブープを現代に蘇らせたウサギ少女(セーラームーン的)なのがキャラ的にいいのだった。手紙魔まみの呪術的な言語は、旧世代に対する戦闘少女アニメという感じか?「戦闘美少女」というキーワードは斎藤環なんかの本にも紹介されていた。

今日の一句

異世界の着せ替え人形雛流し 宿仮

けっこう来ていると思うがおどろおどろしくポップじゃない。もっと具体的に読めばいいのか?

新世紀月のウサギとお仕置きプレー 宿仮

もうちょっと一般的にだな。

来年のカレンダー月ウサギ 宿仮

これは短歌の題材だな。

来年のカレンダー月齢で指定する君 月ウサギかな やどかり

こんなもんか?

いいなと思ったら応援しよう!