武田百合子のモデル小説
『風媒花 』武田泰淳(講談社文芸文庫)
「風媒花」は植物に「虫媒花」と「風媒花」があり、イネ科のように風によって花粉を運ぶ種類を「風媒花」という。それを戦後の日本人に喩えているのか。風任せ的な。
戦時中、中国で中国文化研究会の名目で働いていたがそれは日本の占領政策の一環だった。その下で働く漢奸のように敗戦後は逆転していく中国との関係(著者はそれを上海で経験して日本に戻ってくる)。それは例えば蜜江(この小説のヒロイン・武田百合子がモデル)が生活のためにデパートで万引きをしたり、売春をしていかなければ生きていけない現実だった。
ちょうどこの本を読んでいる時に西武のストのニュースがあったが、日本ではストは悪しきものと捉えられている。
当時は当然の労働者の権利と描かれているのだが、ただ物語はその最中に万引きをする蜜江の姿として、ブルジョア生活を送る者たちとの対比で描かれる。蜜江が万引きしたのは子どもを背負う兵児帯で、彼女は中絶を繰り返していたのだが、このお腹の子は産もうとしたのだ。そしてやむにやまれず万引きすることになる。そして、それに失敗すると今度は売春婦として生きていこうとするのだ。その蜜江の姿をあっけらかんとした描写で読ませる。
モデル小説として武田百合子や竹内好が描かれているが他にもいるようだが、よくわからない。三島由紀夫が蜜江の描き方を褒めた(売春婦をして右翼の連中に絡まれるが魯迅の詩を寄せ書きに一気に書いた)というが、大江健三郎が当時読んで衝撃を受けたという。それは武田泰淳の自己批評の書だったからだと思われる。
スト中のデパートの描写も面白い。ブルジョアの男どもは迫力がなく、女の方が切実だったとか。万引きで捕まって謝罪文書かされるのだが、峯三郎(泰淳)の愛人の名前を書いたりする。愛人の桃代は大物右翼の娘なのでブルジョア女子大生で表向きは蜜江の弟の彼女なのだが、裏では峯三郎と出来ていた。その辺が大衆小説のようであって泰淳は当時大衆作家としてエロ小説を書いていたとするのだが(メタフィクション的になっている)。
その当時は日本はまだ米軍の占領下の混乱期で、一方で中国の毛沢東主義の信望者がいた(竹内好とか)。日本の社会は経済発展するために軍事工場をそのまま朝鮮戦争のための工場として稼働させていく。また台湾に、武器を密輸する右翼活動家(共産党と闘う勢力を応援する)たちがいて大金を得ていたりした(笹川良一とかそんな感じか?)。
中国の関係にしても漢奸として生きていかねばならなかった。そこには個人の意志などなく、個人として生きていくには蜜江の峰に対する愛の行為だけなのだった(そこは理想的に描かれているかもしれない)。
社会小説でありながら恋愛小説として読ませる。特に蜜江の描き方が読ませる。