大人になると不幸になる日本という国
『大杉栄伝―永遠のアナキズム』栗原康
アナーキズムというよりは大杉栄の魅力を伝える評伝。大杉栄のアナキズムは「相互扶助」ということに尽きるのだが、それは昨今のように権力側が与えるものでもない。それは奴隷と同じという。その中に喜びがなければということか。苦痛ばかり言い立てる道徳などクソ喰らえというあっぱれさ。そのためには命さえ惜しまぬという生き方なのか。大杉栄もそうなのだがその後の仲間たちにも言及される。馬鹿ばかりだ。でもそれが魅力。なんだろう子供時代の遊び仲間みたいなものだろうか?大人になるとやたら損得ばかりになる。
大杉栄が百姓一揆からその快感に取り憑かれたのはそれが祭りだったということなのである。上から命令されてやるのではなく自発的広がっていくカタルシス。そういう盛り上がりは例えばベルリンの壁崩壊や各国の民主化運動とないわけではないが、今は権力側の弾圧する側の方が強いのだ。それは中国だろうと北朝鮮だろうと日本だって同じだ。そういうことに考えが浮かばない者は根っからの奴隷根性が植え付けられているので何を言っても無駄だろう。例えば法が権力のためにあると思っているのと法がすべてではないと思っている人の違いは大きい。
例えばそれが暴力に繋がるからという理由ならば権力側の暴力も許されるのかということなのである。その暴力の不可能性があるならば抵抗の方法としてストライキがあるのだ。それは権力の奴隷となって働かないということ、その一点である。そのために相互扶助という思想が生まれてくるのだ。
例えば子供の頃のゲームの楽しさは、それこど相互扶助ということだったではなかろうか?一人だけで富を蓄えていたら遊べない。メンコでもビー玉でも分け合ってゲームをしていたのではないか?それがネットゲームでは支配されていることに気が付かない。それは金があるやつが高価なアイテムを手に入れて自由に進めていくシステムなのである。無料性の限界はビジネスの世界では当たり前のように存在する。このnoteもビジネスばかり煽っているのだが。
そこに相互扶助という繋がりが強ければ強いほど組織からは独立して個人として自由に振る舞える。そういうことだろう。それには経済第一主義を捨てることだ。どの道、すでに日本は衰退期に入っているのだし、この衰退期に出し抜いて金儲けしようとするやつにろくな奴はいない。竹中平蔵を見れば明らかだろう。それさえもアメリカの手下となっているだけなのだ。還元されていくのは一部の金持ちにしか過ぎないシステムが経済には出来ている。
だとしたら今あるところから好き放題するのが一番だろうと思う。アナーキストとはそれだけのものだ。
ただ大杉栄の思想には、ドゥルーズの思想が入っている。何もフランス現代思想だけが最先端なのではなく、大杉栄もベルグソンの「精神と自然」というようなことを言っているし、ニーチェに取り憑かれているのもそうだ。ただ進化論は大杉独自の志向で創造的進化というより子供が遊びの中でさまざまなルールを相互扶助的に考えることだと思う。何よりも子供たちは分け合う精神を持っていたではないか?いつからそれを独り占めするようになってしまったのか?
それでも将来的な不安はアナーキストも保守派も変わらないだろう。だったらこのまま奴隷状態に甘んじるか、少しでも自由を求めて改革するしかないだろうと思う。
そして組合というものも権力機構を作るのだ。だから今の日本では御用組合と呼ばれるような企業が生き残らなければ自分たちの生活が危ういとか言う。そうしてますます格差を広げて下のものから潰れていくのだ。その責任は誰もが取らない。それこそがまさに暴力社会なのだ。
そんなことで今日のニュースが「ジェンダーギャップ指数、日本は125位に順位を下げる」だ。今の日本は差別がまかり通る世界になりつつある。このシステムを壊さない限りみんなで不幸になっていくのだろう。
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