シン・短歌レッスン2
「自分のための短歌レッスン」って馬鹿みたいに長い名前で繰り返すのも恥ずかしいのでタイトルを少し変えてみた。今風?
塚本邦雄短歌
「羸弱(るいじゃく)」は「身体が弱いこと」。塚本邦雄は難しい熟語を使う。貧弱じゃいけないのか?漁夫は帆をおろす人で胸を病んでいるのは私という構図の中で帆が包み込むマリアの愛(ピエタ)のようだという歌。漁夫の利の歌ではないのだ。「乳房よ永遠なれ」の新聞記者を連想してしまった。
模範十首(中条ふみ子)
今日は映画『乳房よ永遠なれ』も観たことだし、図書館で『中城ふみ子歌集』を借りてきたので、映画と関係ありそうな十首。
「アドルム」というのは薬(精神薬だろうか?)。夫は薬中であったようである。戦後の堕落しきった夫という感じだろうか?
中条ふみ子は北海道(札幌)の結社時代の短歌で、短歌仲間からは直情的に不幸な歌(夫のことなど)ばかりと非難される。短歌はある程度明るさを求めるものなのか?わかりやすいと言えばわかりやすい歌だよな。
離婚した時はまだ癌宣告は受けていなかった。
このへんが直情すぎると言われたのかな?
『野火とおく』は夫との生活と別離の感情を歌った「野火」は平和なかまどのイメージだろうか?
『白き茎』は子供の歌も多いのだが、昼間の顔と夜の顔が違う歌風。「白き茎」は自分自身のことだろうな。けっこうナイーブな人だった。われを歌いすぎると非難された人だった。
自分で「ピュアな少女」とか言ってしまう人だった。
部屋の埃が目に「糺さるる」という表現。ただすは自問自答するの意味か?
当時は離婚して実家に戻ってきた女性は随分と陰口を言われたのだろう。
『往復書簡 限界から始まる 』上野千鶴子 , 鈴木涼美
この本は面白い。鈴木涼美は『ギフテット』で芥川賞候補になった作家だが、元AV女優と肩書がついていた。で、そういう枕詞で見てしまうが、東大の大学院で社会学をやって日経の記者であったのも事実なのだ。でもそういうことを全て投げ売って、小説家として出発したのが『ギフテッド』ではないかと思うのだ。驚いたことにそのの言葉を与えたのは上野千鶴子の「ギフト」というコトバ、親から知らずの間に与えられたもの。それは良いことも悪いことも「ギフト」と呼ぶ子の資質みたいなもの。それは例えば上野千鶴子は独身で子供もいないが、なにかしらの「ギフト」を伝えようとしている。それがこの往復書簡から受け取れるのである。それは、大江健三郎がかつて言ったリレーの「バトン」というようなもの。われわれ作家はフォークナーの子どもたちなのだとヴォネガット(ちがったかな?)と語っていたことと繋がる。
そしてこの往復書簡での上野千鶴子の言葉は、いいアドバイスがあるのだ。そのコトバに従って、鈴木涼美が『ギフテッド』を書くまでになったと思うのだ。
今日の短歌
『乳房よ永遠なれ』
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