吉本隆明に論破されて短歌に目覚めた岡井隆
父親から本を勧められて素直に面白いと従う。歌壇でも絶えず父親的(兄貴分かもしれない)な存在として、近藤芳美や塚本邦雄がいて、それでも「アララギ」を離れなかった(アララギのお坊ちゃんという)。「未来」はそんな「アララギ」の中の一つとして、今も存続していた。保守的でありながら元マルキスト。流されやすいのかもしれない。ただ弟や妹もそうだったようだから、あの頃の社会的な問題でもあるが家族的な問題でもあったのかと思うのは母親が精神病院に入ったという話。今だったらそれは家族の問題として向き合うべきなのかもと思える。
四十過ぎてから何もかも捨てて逃避行のような自立をするのだが、それも必要だったのかも。ただその影に女ありなんだが、そこは詳しく語られなかった。歌壇でも兄貴分(父性)として後輩の面倒見がいい人なのかもしれない。岡井隆がよく分からなかったけどますますよくわからない人だと思ってしまった。
岡井隆へのインタビュー。「戦後の短歌史を語るということだが岡井隆の短歌史のような感じだ。
父と戦争
父も「アララギ」の歌人であり技術畑の経営者だというインテリ。ファザコン。母の存在が薄いと思ったら母は精神を病んでいた。典型的な家父長制家族と思われるが、そこの長男で大事にされた。後に弟は労働組合で妹は大学紛争で反抗するという。その間に挟まれる形でマルクスを吸収し、思想的に父に反発する。しかし「アララギ」では短歌活動を止めなかったようだ。近藤芳美との出会い。
文化の厚みと戦後アララギ
「アララギ」は結社として歌壇の中心であったしインテリも多かった。そのなかで近藤芳美と知り合い若手中心のグループが出来ていた。それが「未来短歌会」だった。
「未来」創刊まで
「アララギ」のお坊ちゃんだった岡井隆が近藤芳美と組んで「未来」を作るのだが「アララギ」は正岡子規が作った伝統ある結社誌だったけど、東大のエリート主義が強くて近藤芳美とか異端だったわけだった。早稲田出身の岡井隆も奇異な視線を浴びていたので、近藤芳美と親しくなって「アララギ」の中に「未来」を作るというような気持ちだったが「アララギ」の若手の支持は「未来」にあって、「アララギ」は崩壊していく。「未来」は今もあって歌壇の中心にある結社的な繋がり(岡井隆は結社にしたくなかったという)。
塚本邦雄に出会うまで
前衛短歌のツートップと言われる塚本邦雄と岡井隆だが、岡井隆はマルクスにかぶれて政治運動などをするのだが、医者になるために組織に入らなければならないとなり、政治的には大人しくなっていくのだけれど、当時塚本邦雄は政治性よりも芸術性で前衛だったわけで、素直な岡井隆としては兄のように慕っていたという。また塚本邦雄の知識も相当のもので短歌以外の文学(詩とか俳句)の教えで洗礼を受けたという。またそこに寺山修司という年下の生意気な歌人(岡井隆がいう)がいて、塚本邦雄はどっちにも優しい人なので三角関係のようになったと。塚本邦雄は同性愛傾向が強かった。
吉本隆明との論争前後
吉本隆明との短歌論争は、『短歌研究』が仕掛けたもので、大岡信と塚原邦夫、吉本隆明と岡井隆、寺山修司と詩人の嶋岡晨で短歌形式と詩人との様式論争が行われる。吉本隆明は当時バリバリのマルクス主義者なので岡井隆としては分が悪いのだが、友人の崎村久夫が社会心理学(反マルクス主義)に明るいので、そのへんから吉本の短歌解釈はおかしいとせめるが、世間は吉本に論破された歌人ということになってしまった(『言語にとっての美とは何か』で論破された岡井隆として有名だという)。しかし、この論争で現代詩の思想も短歌に流用したりして一定の成果はあったという。
現代日本の詩歌
吉本隆明『現代日本の詩歌』で岡井隆に触れていた。
第一歌集で組織に所属する個人の難しさと母に対する違和感(岡井隆のファザコン性)について、するどい指摘をしていた。
また晩年になると新しい妻を得て優しい情感を見せるというが短歌は難しくなっているような。
ただ岡井隆がライトヴァース的な日常性を短歌にしたので次世代の俵万智とか登場しやすくなったという。短歌も平明な言葉の方にシフトしていく。
岡井隆の根本は保守性なのだが短歌の方法論が革新だった(というか何でもやってみる)というのが、若手や同時代の前衛歌人から評価を得るのだろうか?だが権威となってしまった彼を批評するものがいなくなった。塚本邦雄が生きている時は彼が批評者だったようだ。
つまり塚本邦雄と両輪の時代があり、本人の発言もあるが塚本邦雄には負けたくない(人気面で)という気持ちが革新的短歌を産んでいく。もともと技術論に長けた人だった。またマルクスなども読んでいるので、そういう面でも大衆というものを理解していたのかもしれない。一番大きいのは、吉本隆明との短歌論争で論破されたことかもしれない。そこで彼は短歌とはと考えるようになった。その中にナショナリズムもあることをいち早く悟っていた。
塚本邦雄がライバルとして短歌を批評や称賛するのも、塚本邦雄が絶えず他者だったかもしれない。そして、岡井隆はそういう他者を必要とする人であり外部からの刺激を求めた。岡井隆がサイードとか言うとは思わなかった。インテリは権力志向になりやすく。大衆はそれを支持していく。そこに絶えずアンチというネガティブな存在がないと独裁的になっていく。独裁的というよりも一人勝ち状態でやがてそれはマンネリズムとなって衰退していくのだという。
岡井隆がライトヴァースの歌人たちを批評しながら、その中に埋もれていくのは経済的なものだろうか?そういうことが無視出来ない状態にあって、それは個人ではどうにも出来ない問題だという。歌壇のカルチャーセンター化があり批評はなく画一化した歌が注目される。その一方で専門化もあり彼らは内輪だけで楽しむ。
面白かったのは俵万智を泣かせた事件というのが書いてあって佐久間章孔が「あなたの歌は保守的、超保守だ。つまり今の短歌を革新するというものではない。思想的にも保守だ。こんなものでも文学が変わるわけがない」と言っていじめたと書いてある。この事件から批評がしにくくなったとか(その事件で還って俵万智の同情票が集まったとか)。とんだ聖子ぶりっ子ぶりだ。まあ文学は関係ないかもしれないがビジネスは変えたんだよな。彼の方が消えていった?
穂村弘も俵万智を泣かせたとAIにでていたのだが、ソースが見つからなかった。俵万智を批評出来るのは穂村弘しかいないと思うが。