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啄木のセンチメンタルは計算されたもの
『悲しき玩具 』石川啄木(Kindle版)
明治時代の歌人・詩人である石川啄木の第二歌集。没後の1912年(明治45)年に東雲堂書店から刊行された。明治43年から44年までの歌194首、エッセイ2編を収める。書名は、この歌集掲載の歌論の一節「歌は私の悲しい玩具である。」による。歌の表記法の特徴として、三行書き、字下げ、句読点、ダッシュ、感嘆符が挙げられる。
『一握の砂』は砂=言葉ならば、啄木に取って玩具=歌(詩)であった。それは啄木が人生を賭けて、最後まで戯れた蟹でもあったのかも。2つの鋏がある蟹だ。家庭と世間と。
呼吸(いき)すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凩よりもさびしきその音!
啄木の身体そのものが玩具のような「さびしきその音!」という客観視した、センチメンタリズムなのだ。この凩の歌は啄木の肺結核の音だという。ほとんど絶筆前の歌らしい。伝説になる歌だと思う。
この歌集は生前発表された『一握の砂』に続いての第二歌集だが、啄木の死語に発表された。まさに夭折した歌人で、笹井宏之と同じパターンだった。笹井宏之が注目されたのも啄木の影響もあったかもしれない。友人の土岐哀果の奔走によって出来たという。