ある日(あひる)の彼岸性は、あの頃はあったものだ。
『あひる』今村夏子 (角川文庫)
今村夏子は芥川賞受賞作『むらさきのスカートの女』と『星の子』、『こちらあみこ』は映画を観たけれど、どれも違った文体のようであり才能を感じる。ストーリーテーラーなのかもしれない。
ただ『あひる』に収められている不思議な話は自分が幼い頃はそういうことがあったような、隣近所で風呂を譲り合ったり、勝手に上がってご飯を食べて行ったりすることはあったのだ。それは地方に行くとちょっと前まではあるような気がする。
表題作の『あひる』は見事な短編小説だ。飼っていたアヒルを見に近所の子供たちが集まってくる。そしてストレスで死んでしまったアヒルの代わりを父親がどこからか調達してくる。1号、2号、3号の「のりたま」が姿を変えて名前だけは変わらずに子供たちに愛されるのである。その子供たちを父と母が実の娘よりも可愛がる様子、まったくの他人なのに誕生日会など開いてしまう両親は微笑ましい。
その日は子どもたちがまったく来なかったというは、いろいろ想像できる。時代の変わり目でやはり学校とかで他所の人からお菓子をもらってはいけないという教育がなされているのだろう。それでも子供たちのたまり場になって、元不良の弟(結婚して子供が出来て引っ越してくる)に説教される。姉の存在感のなさがまたゴースト的でいいんだよな。
隠居のおばあさんとの関係も不思議な話だけど2号さんとかだったらあるかもしれない。それも幽霊話なのかおばあさんがボケてしまったのか、知らない子供と話しているというのは想像が出来る話だった。また語り手の逃げ場のような家が実家の他にもう一つあったんだよな。だから横暴な親でも耐えられたということがあったのかもしれない。人が孤立はしてなかった時代の話だ。
最後の話もビワとかはないけど柿とかはよく知らない人から貰っていたような気がする。なんとなくその地域の子供はその地域の大人との関係が出来ていた時代だったということなのだろう。そういう意味で失われた懐かしい感じの短編だった。彼岸性みたいな感じかな。