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シン・短歌レッス87

紀貫之の和歌


人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににおいける                紀貫之

『百人一首』に載るほどの有名歌であるが、紀貫之クラスになると嫌味の歌も読む。毎年訪れていた宿屋に、久しぶりに泊まろうとしたら、宿屋の主人に「ご無沙汰で」と言われたので和歌で返したという。梅の花は昔のままに香りで歓迎してくれている。というような意味で、江戸時代の川柳子(せんりゅうし)が「梅の花愛でて主をあてこすり」という川柳を詠んだという。

『源氏物語』でも柏木が女三宮と不倫したあとに、柏木の前で古歌を引歌として嫌味を言った場面があった。ただこういうのは相手にその教養がないと悟らないだろうから、相手がそれなりに素養があると認めていたのか、この紀貫之に対して和歌で応酬した宿主であったという。

花だにも同じ昔に咲くものを植ゑたる人の心知らなむ  詠み人知らず

『貫之集』

昔の人は和歌がTwitter代わりだったのか?和歌を考えているうちに怒りも収まるかも。

古今和歌集

今日は小町屋照彦『古今和歌集』「秋歌下」(ちくま学芸文庫)から。

吹くからに秋の草木のしをればむべ山風を嵐といふらむ  文屋康秀
もみぢせぬ常磐の山は吹く風の音にや秋を聞きわたるらむ  紀淑望
神無月時雨もいまだ降らなくにかねて移ろう神奈備の森  詠み人知らず
秋の夜の露をば露と置きながら雁の涙や野辺を染むらめ  壬生忠岑
わび人のわきて立ち寄る木の下は頼むかげなくもみぢ散りけり  僧正遍昭
もみぢ葉の流れてとまるみなとには紅深き波や立つらむ  素性
ちはやぶる神代も聞かず龍田川韓紅(からくれなゐ)に水くくるとは
夕月夜小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ  紀貫之
道知らば訪ねも行かむもみぢ葉を幣(ぬさ)と手向けて秋は去(い)にけり  凡河内躬恒

「秋歌上」の風は夏から秋へと感じさせる風だが「秋歌下」の風は秋から冬に至る風である草木を萎れさせてしまう「あらし」(荒らし→嵐)の掛詞、それは漢字の字体をも表しているので、書き言葉としての前提で読まれたのか?漢詩にも似た技巧を凝らした詩があるという。

紀淑望は「真名序」を書いたとされる人だけど、古今集にはこの一首だけ。「紅葉しない常緑の山」と読んでいるが、和歌の打ち消しの技法は言霊として残るから「紅葉してないけど紅葉の季節だ」というような意味で、「風」が紅葉の代わりになっているのだ。

「神無月」(10月)は俳句では冬の季語だが古今集では秋になるという。時雨もないと打ち消しているが、ここでも「かねて」はせまっている「神奈備の森」神が棲む森だから神が戻ってきたということなのか?紅葉したということらしい。

秋は露。それを「雁の涙」としたところに紅葉を染めると着想した壬生忠岑。メルヘンチックな歌。

僧正遍昭の歌は散ってしまった紅葉に木の下で詫びしさを詠む。

僧正遍昭の後に息子の素性と業平の屏風歌。素性法師の歌は秋歌上の紀貫之の歌と呼応しているという。

年ごとに もみぢ葉流す 竜田川 みなとや秋の とまりなるらむ

それより業平の龍田川の紅葉の歌が有名すぎてその露払い的になっているのもしれない。「水くくるとは」は水の下を潜ると絞り染めの意味があるという。絞り染めのほうが一般的なのか。

その後も紅葉の歌が続くのだが、業平以上の歌はないだろう。やっと鹿の歌に変わった、と思ったら九月の晦で終わりだった。

最後は凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌でこれも9月の晦の歌だが再び紅葉だった。「幣(ぬさ)」は神に捧げるための絹など切ったもので、ここでは紅葉の見立て。

穂村弘

前回の続きだけど、また長くなりそうだったので別枠で。

うたの日

「豆」だって。なんで豆なんだ。最近で豆で思い出すのは小豆のお粥を食べたこと。足の豆もあるな。

『百人一首』

今日は紀貫之をもう一度。この短歌結構気に入っている。

腹下し止めよ鎮めよ正露丸今朝の豆乳妻の策略

♡が付いた。これは上出来。♡は少なくとも一番いいと思ってくれたのだから(謙虚だ)。それに、♪一つ。

映画短歌

『オープニング・ナイト』

『百人一首』

恨むより仲良くしたい気持ちでも人の怨霊どうにもならぬ

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