四元康祐「噤みの午後」
四元康祐『噤みの午後』から「噤みの午後」。「噤みの午後」は表題詩だが難解に感じるのはコペンハーゲンという海外であるし、その目的がヴィルヘルム・ハマショイというまったく知ることがない人だったからである。
どうも画家のようだ。ウィキペディアに音声が付いているので確かめると確かにハマショイとも聞こえる。むしろヴィルヘルムの発音が難しい。ウィリアム・テルと同じだと思っていたが。
コペンハーゲンはデンマークだった。それほど地理も詳しくないので北欧ぐらいのイメージしかない。
詩は絵の描写だろうか。絵を写実しているのだろうか?詩だけではよくわからないが、絵をみればヒントになりそうだ。
じっさいにハマショイの絵を見ると内省的な孤独とデンマークの寒さを感じる絵なのかもしれない。詩もそんな感じだ。とくに開け放たれた扉からは冷気のようなものが忍び込んでくる。
これは詩人の幻想なのだが、詩人はハマショイとカフェで会話している。多少絵を誉めながら、それをうんざりした様子のハマショイとの熱さと寒さ。絵の虜になった男と絵の解説にうんざりした男の姿か。
カタカナによるイメージはコペンハーゲンの寒さを現しているのだろうか。雪の結晶の白夜のイメージか。
タイトルとなったのは部屋の閑散として寒さの部屋だろうか?その部屋には誰もいないけど、その部屋を見つめている視線は感じるのだ。遠い視線か。そして、ハマショイが以前ドイツから尋ねてきたオーストリア人がいたというが名前を覚えてない。それは今読んでいるトーマス・ベルンハルトだと思う。というか詩から連想されるものは読者のものだ。だから決定だ!
最後のセンテンスは四行詩四連で部屋の形のような定型か?絵そのものの詩になっていた。こんな詩はまだ無理かもしれないな。