「毒」とは「とく」と読んで「説く」から「徳」へ
『身毒丸』 折口信夫(Kindle版)
富岡多惠子『釋迢空ノート』によると折口信夫の青年期に「釈迢空」と戒名を授けた僧侶との出会いが『身毒丸』を書かせたとある。その真意は別にして、折口の手法は民族学をただ論文を書くということではなく、実践の場として文学で表現していくことだった(折口の「あとがき」参照)。
例えば『万葉集』の実践の場が釈迢空のうた(短歌ではなく、あえて「うた」と表記したい)であり、この『身毒丸』は、説経節(仏教的)よりも浄瑠璃や能というような芸能に近い形、能以前の猿楽のような旅芸人の語り部としての民族学実践の小説なのであった。
それは「身毒丸」という身体を通して、あの世と通じる世界、その秘技は「明かしえぬ共同体」というべき儀式(秘技)があったと思われる。文学では、そのエロティシズムを感じてしまうというところか?「死」と「性」というような。