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シン・短歌レッスン17

川面に映り込むビルが綺麗なんだな。曇り空だからだろうか?写真は撮ってみなければわからない。

葛原妙子短歌

『ねむらいない樹vol.7』

今月は葛原妙子にするか。「幻視の女王」。塚本邦雄『百珠百華』という葛原妙子の百首鑑賞本があるという。『ねむらない樹vol.7』の「葛原妙子特集」だったのだ。

この短歌は一時空けのテクニック。二句切れ。短歌の韻文は五七五七のリフレインという話を聞いた。確かに俳句は切れが一つ入ると良くなるが、短歌はリフレインなんだな。無理に言葉をリフレインさせなくとも音韻で五七五七とリフレインを作ることが出来る。


模範10首

同じく『ねむらない樹vol.7』で川野芽生を特集していたので、同じく幻想短歌の歌人。売れている歌集『Lilith』から。選者は藤原龍一郎。

傘の骨は雪に触れたることなくて人身事故を言うアナウンス
幻獣のやうに粧ひ人形を見に来れば画廊(ギャラリー)の底冷え
ゆゑ知らぬかなしみに真夜置きだせば居間にて姉がラジオ聴きゐき
賭博師の用ゐる仕掛け銀貨なり投ぐるたびに表ばかり出る月
羅(うすもの)の裾曳きてわが歩みつつ死者ならざればゆきどころなし
庭に来る晩春、ふるき藤棚は藤蔓の重たければ折れつ
庭園にあらねど荒ぶれる庭よわれらをいきながら閉ぢ籠めて
生者より生者は産まれこのあした蠱毒(こどく)のごとき辛
夷(こぶし)咲きゐる
ひとびとは老いて去りゆく 最愛の季節の花の庭を遺して
借景を失いしゆゑわが庭も芝居小屋たたむやうにさみしき

川野芽生『Lilith』

上の句は雪に触れたことがない傘について述べながら、反転させて人身事故に触れる私を歌う都会性。そういう反転の仕方もあるのか?
人形芸術のギャラリーなんだが「幻獣のやうに」粧う比喩と(幻獣と人形が人のように粧うという比喩)底冷えするギャラリーは現実とは異界世界なのだ。
真夜中を「真夜」と言い切り、「ゑ」「ゐ」の古語の使用が異空間を演出する。「聴きゐき」は姉は非現実の存在か?
銀貨の表と月は太陽の裏という闇の世界。それは賭博師の仕掛けという。「ペーパームーン」を想起させる一首と。
「羅(うすもの)の裾曳きて」は部屋着のネグリジェなんだろうけど古典的世界を感じさせる。これも五七五七の韻律だった。そして最後は現実に還って「ゆきどころなし」となるのだ。
これも二句切れのテクニック。句読点が入っているのでわかりやすい。「ふるき藤」で切れ「棚は藤蔓」の句跨り。「重たければ折れつ」は字余りだが重さで折れる様が見事なのか?字余りを平気で読み下す葛原妙子の影響だろうか?塚本邦雄の影響はあるな。ということは短歌の世界は消滅すべき幻想歌ということなのだろう。
「庭園に」は普通だが「あらねど荒ぶれる」は短歌の音韻が「あらねど荒ぶれる」様子の二句切れ。「庭よわれらを」も句跨り。「われ」と「ら」で分断する力技。結句は五音に「閉じ籠めて」しまう。
「蠱毒(こどく)」が出せなくて苦労した。そんなところも塚本邦雄の漢字フェチぶりを感じてしまう。「蠱毒(こどく)」は中国の呪術なんだそうだ。まさに呪術的短歌。
『借景園』というタイトルにあるような架空の庭園。花と死は取り合わせてとして「エロスとタナトス」なのだろう。
『借景園』のタイトルの出処の短歌か?「芝居小屋」という虚構世界は寺山修司やアングラ劇を想起させる。

映画短歌

今日の映画は、『とべない風船』

禍の風を吸い込み
風船は
破裂させるな飛ばしてしまへ


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