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もっとも遠い街の映画館で

『遠いところ』(2022年/日本)監督:工藤将亮 出演:花瀬琴音、 石田夢実、 佐久間祥朗、 長谷川月起 、 松岡依都美、 小倉綾乃、 NENE、 奥平紫乃、 髙橋雄祐、 カトウシンスケ

映画、ではなく現実
次の世代に残してはいけない問題がここにある―

沖縄県・コザ。17歳のアオイは、夫のマサヤと幼い息子の健吾と3人暮らし。おばあに健吾を預け、友達の海音と朝までキャバクラで働くアオイ。マサヤは仕事を辞め、アオイへの暴力は日に日に酷くなっていく。キャバクラで働けなくなったアオイは、マサヤにわずかな貯金も奪われ、仕方なく義母の由紀恵の家で暮らし始める。生活のために仕事を探すアオイだったが、キャバクラの店⻑からある仕事の誘いを受ける。

沖縄の現実を描いた映画だが、まったく本土と違う世界が沖縄にある。どちらが現実で幻なのか?

この映画に興味を持ったのは沖縄の現実を描いたノンフィクション『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』上間陽子を読んで興味を持ったからだが、上間陽子は関わっていないのだな。そこが気になった。

それは描き方が救いようがないからなのか。ラストの結末は沖縄戦で犠牲になった女性とその子供の映像と重なる(崖から子供を抱いて飛び降りる自決シーン)。そういう撮り方だったと思う。基地ということは直接には出て来ないが(基地のフェンスの映像は映されていた)WOWOWで最近放送された『フェンス』とかにも重なっていると思う。

沖縄の現実がこれでもかというほどに悲惨に描かれているのだが、問題は未成年女子の風俗の仕事と妊娠、子育てという闇の世界。そこには労働問題もあった。景気低迷によって底辺社会にしわ寄せが行く。それはケン・ローチが描いたイギリスでの労働者の映画以上に悲惨さを見せるのは未成年女子へのケアのなさだろう。そのところで活躍しているのが上間陽子ならば、この映画の希望のないラストはどう思うだろうかと考えてしまった。それが沖縄の現実と言ってしまえばそれまでだが。

主人公を演じた花瀬琴音の投げやりな言葉は、ウチナーとも本土の言葉とも違って言葉が少ないのだ。説明できないもどかしさのようなものなんだと思う。ツーカーの中でしか通用しない言葉の中で生きているからオバアの言葉は聞き取れるが理解出来ない。本土の言葉は面倒くさいというような営業スマイルで生き抜く。それもキャバ嬢であった時までだ。

未成年でキャバレーでも働けなくなると貧困生活が容赦なくやってくる。そのために売春までもしなければならないのだった。その時点でケアがあってしかるべきなのだが、この国は弱者切り捨ての国だった。

ラスト近くに彼女の怒りが爆発するシーンがある。そこは溝口健二『浪華悲歌』を連想した。それは沖縄の路地の描き方にあるのかもしれない。路地は貧困の象徴であるかのように最短で欲望の街に繋がっている。

沖縄の欲望の街と路地裏の貧困が路地によって繋がっていくのだ。それを潰して横浜みなとみらいのような街にするのも考えさせられる。ちょうど映画館がある桜木町に行ったらポケモン祭りをやっていた。どちらが幻影でどちらが現実なのだろうか?

#未来のためにできること

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