シン・俳句レッスン74
クリスマス・イブの写真。大岡川にサンタクロースが沢山いたのだがなんだったんだろう。河に落ちそうなサンタもいて寒そうだった。
リバーサップと言うのだった。いまいち収まりが悪いサンタさんが抜けた。
こっちの方がまだいいか。
俳句の達人(加藤楸邨)
このへんがよくわからないんだよな。人間探求派だった。石田波郷とごっちゃになってしまう。
またわからないことを言う。パソコンではだめということかな?
加藤楸邨の有名な俳句。
わからない俳句だった。
これはわかりやすいな。
これもわかりやすい。わかりにくい句を作るのは以外に難しいのかもしれない。
加藤楸邨は俳句の形に収まらないからいいという。得体のしれないものだからこそ想像力を掻き立てる。もともと短歌をやっていたというのだ。それで斎藤茂吉に憧れていたとか。俳句界の斎藤茂吉なのだろうか?
そして芭蕉に惹かれていく。
パソコンどころか鉛筆も万年筆も駄目で筆で書けと。それが最初の言葉だった。緊張感の中で俳句を作ることかな。
俳句いまむかし
坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から。
冬・新年
「悴んで」は冬の季語。でないと鬼太郎になってしまうな。鬼太郎も悴んでいるのだろうか?危険を察知しているのだった。
かなでは失礼かな。震えているときは祈りの姿になるのかもしれない。
草田男も「なる」だな。「ひとの離合」とは挨拶を交わすことだった。
おもしろい。お笑いか。このぐらいのレベルだったら笑えるけどM-1とか全然わからんかった。お笑いの傾向も時代と共に変化があるのかな。これはオネエ言葉だよな。
「寒影」は冬特有の影かな。冬の影は夏の影より濃い気がする。ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』で影は重なると濃くなるか?とやっていたが、実際には一つの対象物の影が出来るだけで濃くはならないだろう。理屈ではそうなんだが、あのシーンの場合は理屈以上のこだわりがあったのだ。人生の影とか。冬の影が濃く感じるのは伸びるからだろうか?陽が傾くのが早いからか。面積が大きくなった分薄くなっているのかな。「寒影」はくっきりと濃い感じがする。
「ぬ」は完了形。祈る人と重なることで一体感となるような。
口語の優しさか。リフレインが安易すぎると思うが。こういうリフレインは多い感じがする。上五を中七でリフレインさせる。
十字架に戒名書くのではないからこれはないな。むしろ
とか。戒名どうすんだろうと心配になってきた。そもそも戒名の必要性がわからん。
言葉遊びの世界の句。鶴が飛翔してくる様子だという。鶴だから「こんなにも」が驚きろきと歓喜を伝えているのか?雀だったら当たり前すぎるか?椋鳥はちょっと怖いかも。
だったらどこへ行くんだろうか?天国か涅槃か。地獄行きだったりして。
ロマンチックすぎるような。小学生五年ということで安心した。こういうのは選ばれやすいのは年齢も加味しているのかな。還暦過ぎた爺さんでは俳句にならんだろう。
「心音トト」がいいみたいだ。トトだとトイレとか99のバンドだが。
そうだ。俳句でイメージするのが絵画よりも音楽だということに気がついた。だから何?なんだが絵画的な句はあまり読めないと。
こういう句だと音楽的でわかるんだが。「チーズフォンデュ」が冬の季語だという。確かに夏は食べたくないな。
ケーキは胃にもたれる。
闇汁やりたいな。一人では詰まらん。