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日短や流行語大賞ふてほど

陽がおちるのが早い。まだ夕方五時前でこの夕焼け。日短は四文字だから使いづらいな。冬至はまだか?12/21なのか、そんな先なんだ。今日の一句。

日短や流行語大賞ふてほど 宿仮

意味はわからんが使ってみた。それほど流行語には暗いという意味だった。下五の字足らずも日短と連動している。

昨日はネットカフェ読書。「ジャズ・トゥナイト」はクインシー・ジョーンズ特集でビッグバンド系が多かったのか音漏れしていると注意を受けてしまった。せっかくいい気持ちで聴いていたのに。玄関横だから音量を上げないと気が散るんだよな。

音漏れのしゃかしゃか音の怨霊や祈祷師解!釈迦も退散 やどかり

『短歌研究』で韻律特集。よくわからないんだけど、ダジャレ的なのでいいのか?母音による調べというのはなかなかできるもんじゃない。リフレインとかオノマトペぐらいかと。

ときどきに句跨りからこそくちはな が来る花をくはへて 薮内亮輔

『海蛇と珊瑚』

薮内亮輔は上手いよな。蛇(くちはな)が句跨りで「くち」と「花」に分かれるのを詠んだのだ。これもリフレイン効果で、韻律を意識しなくても韻律になっている例か。単なるダジャレ句が多い中でこの短歌は惹かれる。

小山鉄郎『白川静入門』読了。白川漢字学の入門なんだが、俳句や短歌をやっていると漢字に悩まされうんざりしてしまう。それで少しでも漢字に親しめないか手に取った。これが面白いのは、漢字は表意文字であるのだが、それは呪術の悪霊退散から来ていて古代中国の呪術の意味がそこにはいろいろあるのだ。口偏が人の口ではなく神に捧げる入れ物を意味することはよく知られているが道の首は人の首だとか?辶は四辻を表しそこに首を置いたのか?異民族の首をかりに行く道だからということだった。古代はそういう世界だったのだ。それが自然との共存ということなのだろうか?

だから道を解く君は首狩族の成れの果てかもしれない。上手い繋げ方だと思ったのは次に読んだのが津村節子『白百合の崖』で与謝野晶子(鳳晶子)が与謝野鉄幹に贈ったとされる「道をとく君」の歌だった。

実際は鉄幹ではなくその前に付き合っていた奥手の君に贈ったのが、明星に掲載されたので鉄幹宛てとなってしまったという。鉄幹は雑誌の主催者でもあり短歌の改革者であったから女性歌人を増やしたいという気持ちがあったようで、それで晶子と登美子との三角関係になったようなのだが、晶子と登美子の関係はそれほど悪くはなく、むしろ姉妹のように登美子は晶子に姉さんと慕っていたとか。登美子はなにかと引っ込み思案だったので行動的な晶子が羨ましく、短歌では歌として疑似的に大胆に恋の歌も詠めるということで、鉄幹はそういう存在であったということで、鉄幹が滝野という妻がいて、また滝野はそういうことに理解ある人(『明星』の編集者をやるぐらいの人だから短歌についても詳しいし夫からレクチャーされていただろう)だから堂々と相聞歌とか贈っていたという。しかし晶子は観念よりも肉体派だから、どんどん鉄幹にのめり込んで行ったというのが、この小説の真相みたいだ。

そう言えば最近転びやすくなったと以前も話したが、昨日も転んで顔を擦りむいてしまった。腰には知らない内に傷が出来ているし、足腰がだいぶ老化しているな。今日は吟行に行くか?首狩族の子孫の道だよ。

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