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映画で観た「洲崎界隈」

『洲崎パラダイス』 芝木好子(ちくま文庫)

「橋を渡ったら、お終いよ。あそこは女の人生の一番おしまいなんだから」(「洲崎界隈」より)。江東区にあった赤線地帯「洲崎パラダイス」を舞台に、華やいだ淫蕩の街で生きる女たちを描いた短篇集。男に執着する娼婦あがりの女の業に迫る表題作「洲崎パラダイス」、満洲帰りで遊郭に身を落とした老女の悲しみをとらえた「洲崎の女」を含む全6篇を収録。
目次
洲崎パラダイス
黒い炎
洲崎界隈
歓楽の町
蝶になるまで
洲崎の女

解説 水溜真由美

洲崎パラダイス

島雄三監督『洲崎パラダイス赤信号』の原作で読みたいと思った。その原作は、洲崎パラダイスという遊郭街の側にある居酒屋を舞台に隅田川を挟んで橋の向こう側の世界を見ながらそこの店員となって働く女たちの姿を描く連作短編。そこは埋立地(夢の島)に作られた男の欲望を満たすための赤線地帯であり、溝口健二『赤線地帯』の原作になっている作品もあると解説に書かれていた。隅田川というと永井荷風の『 濹東 ぼくとう綺譚』を思い出すが荷風が遊郭の女を夢のように描いたのに対して、芝木好子は戦後の女たちのリアルな姿として、生活のために遊郭で働き男を見つけてはその過去を隠しながら生きていくしたたかな女の姿と遊郭気質から抜け出せない夢見がちの女の姿を描くのだった。荷風の遊郭は戦時中であり、芝木好子は戦後の赤線地帯(そこは生活者が紛れ込む世界)を描くがまだ荷風の人情の残存する世界を居酒屋の女将の視点として遊郭を見守る灯台守のように感じる。あとそこにある坊主椅子とビールよりは安い焼酎を飲む常連客の姿も描いている。『洲崎パラダイス』はそんなどうしようもない男と女のなりわいのラブ・ストーリーなのだ。

黒い炎

「黒い炎」になると戦後の女の情念というべきものが『夜桜お七』の純粋さ(江戸文学)ではなく、荒廃した戦後の女の情念として描かれる。そのくすぶり方は現在の宮部みゆきの犯罪小説の女たちの系譜にあるように思われる。

洲崎界隈

「洲崎界隈」は州崎の橋を渡ったら戻れないという遊郭の掟がある時代の遊郭の影の部分(蔑まされた女たち)とそれとは逆の芝居小屋の中に残る男優スターの安ぽっさが透けて見えるような女の夢芝居の一部というべき時代遅れの姿(芝居小屋は映画館に変わっていく)として語られている。

歓楽の町

「歓楽の町」居酒屋の女将である徳子と歓楽街に落ちていく徳子の親友恵子の変化と夫から金をせびられて、借金のかたになっている洋服までも売っても金の工面をしなければならない女の惨めさと恵子の颯爽さを描くいている。溝口健二『赤線地帯』の女たちの生き様なのかもしれない。

蝶になるまで

「蝶になるまで」はまだ十六にしかならい娘が田舎から東京に出てきて周りの遊女たちに影響されて変化していく様子を描く。いつの間にか媚を売るようになる少女は遊郭のお姉さんたちに呼び出されてリンチされ隅田川に突き落とされるのだが、それにもめげずに歓楽街の女になっていく姿を描く。京マチ子に虐められる若尾文子を連想した。

洲崎の女

「洲崎の女」は外にある居酒屋ではなく中の遊郭で働く中年女の惨めさを描く。若い女たちのように客は取れずに、同情客が付くぐらいで、川で溺れた子供(自分のせいだと思ってしまう)を空襲で手を引いていた息子だと思ったりもう一人の娘は行方不明なのか(幻影譚だからわかりにくい)、その幻影を描きながら精神を病んでいく女を描く。その息子が成人して訪ねてくるのだがすでに母とは思えず(映画『赤線地帯』にそういうシーンがあった)、その姿を木場(江戸時代は材木商らで活気のある場所だった)の活気もないただ漂う古材となって浮かんでいる荒んだ洲崎の風景として描く。


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