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詩の言霊降霊術
『詩を書くということ』谷川俊太郎 (100年インタビュー)
日本で最も愛されている詩人の一人である谷川俊太郎が、生い立ちから詩作の裏側までをありのままに語ります。インタビューのほかに、朗読で大人気の「かっぱ」「ばか」から代表作「生きる」まで、11作品を収録!
「詩を書きたいとも思っていなかったし、詩人になりたいとも思っていなかった」という谷川氏が、17歳の頃に友だちに誘われて詩のようなものを書いて以来60年以上、詩集にとどまらず、歌の作詞(校歌や合唱曲、アニメ「鉄腕アトム」などの主題歌)、絵本、翻訳、脚本、朗読でも活躍。オール受注生産というほど人気はいよいよ高まっています。
本書は、各界一流人の思いと夢をインタビューで解き明かす人物ドキュメント、NHKBSプレミアムで放送中の番組「100年インタビュー」で語られた言葉を単行本化するシリーズの14冊目。
詩は微力ながら過酷な現実に対抗する「よすが」になる――と、詩の存在意義もわかりやすく教えています。
目次
第1章 詩との出会い(詩を書き始めた頃;詩を書くということ;読者を意識した詩;詩が生まれる瞬間;意識下にある言葉)
第2章 詩と日常生活と(ラジオに魅せられて;詩と日常生活;詩人であることを問い直した時期)
第3章 意味と無意味(詩は音楽に恋している;声に出すこと;意味以前の世界;言葉は不自由;「わかる」ということ;七十八歳の境地;厳しい現実を前に詩は…;人は詩情を求める)
NHKで放送された番組の書籍化のようである。インタビューということでわかりやすいし、NHKの番組ならなおさら信頼が置けるのかもしれない。そんなことは知らずにただタイトルだけを見て図書館で借りたのだが、谷川俊太郎は言葉というものが他者のものであり、それを伝達するのが詩人ではと言っているのかもしれない。自分の言葉なんてほとんどないという。ほとんど借り物の言葉、それは言葉を習うより倣うという感じなのかと思う。だから子供にも人気がある詩人なのだ。その一つが言葉遊びの世界の詩なのである。
「かっぱ」
かっぱ 谷川俊太郎
かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とてちってた
かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきてくった
「かっぱ」という架空の生き物は、外部の生き物である。いわゆる妖怪という精神世界の生き物なのか。それは民話や神話に登場するが否定も出来ない。そして言葉としてはイメージ出来るのだった。
例えば外部から来た外人とかやはり警戒するし、どう呼んでいいのかわからないものだった。
「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」。この言葉が面白いのはゲーテがまるでぎょう虫のような響きだからだと思う。あの世界的文学者のゲーテが固有名として定まらないのだった。ゲーテの妖怪性と言えるかもしれない。
「かっぱ」の文字が踊る。「かっぱらった」と踊るのは促音便の力だろうか?二連目の「かっぱらっぱ」の不協和音は、カッパのラッパなのである。
言葉遊びという声を出して楽しむ詩なのだから文字では理解しにくい。
「とてちってた」も意味が伝わりにくいが「取って散っていった」の早口言葉か?
次の連で今度は菜っ葉を買うカッパだった。意味性よりも言葉に引っ張られて展開する音韻の詩なのだ。そうすれば意味はなくても「かっぱなっぱいっぱかった」のである。そしてカッパは菜っ葉を食べることが出来たというたわいもない詩なのだろうか?
カッパのラッパがイメージするもの、それは人を集める音かもしれない。日常にはない興味深いラッパの音。そして「とってちてた」と巡回するのであり。それはカッパ語なのか?
かっぱはなっぱを買ったのは、人間界に降りてきたからか。最低限のルールを守ろうとしたのかもしれない。お代は?カッパ踊りか?
「昨日のしみ」
谷川俊太郎は自分の詩を依頼されて書くという。それは今の資本主義的なあり方なのだが、それでフォーク歌手に歌われていたりするのだ。作曲は武満徹とか(これが武満徹の遺作とか)。
「昨日のしみ」
まっさらみたいに思えても
今日には昨日のしみがある
すんだことさ一言の
漂白剤は使えない
涙をシャワーでながすだけ
やはり抒情なんだな。叙事詩は大きな物語だが抒情は小さな物語の日常性ということだろうか。「しみ」みたいなもんだよ、と歌う。そんなしみが老いとともに刻まれていく。昔からずっとあったように。しみを消す手術もあるが、化粧でごまかすというのが一般なのだろうか?しみがある顔は人生を語るのかもしれない。のっぺらぼうの怖さ。かと思ったらけっこう笑える話なのかもしれない。のっぺらぼう伝説。
白塗りのピエロは怖いよな。でも仕草で怖さを見せないかもしれない。
からだの傷さえ消えるのに
心の傷ならなお疼く
ごめんなさいの一言を
鎮痛剤には使えない
痛みをお酒で癒やすだけ
トラウマの詩だな。トラウマからアル中になるような人生か。ありそうだった。大震災のあとの家族を喪失した男とか。これは谷川俊太郎自身のことではなく、そういう世間を詩にしたのか?
思い出したくなくっても
忘れられない日々がある
明日があるよの一言を
ビタミン剤には使えない
希望は自分で探すだけ
希望は自分で探すだけ
これも二連からの続きだが、最後のリフレインが重要なのだろう。リフレインは詩人の言いたいことだ。最後に自分の意見をそっと言う。