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ネット時代の「全電源喪失」の絶望感とは?
『七十年の孤独: 戦後短歌からの問い』川野里子
言葉と文化の焦土から立ち上がった戦後短歌。「日本」とは何か、「私」とは誰か。この問いはまだ受け取られていない。戦後短歌には未来を見出すための鍵がある。言葉は時代の空気に敏感だ。あらゆる短歌は時代と対話している。そのことにあらためて思いを深くする一冊。
NHK短歌でもわかりやすい川野里子の批評本。短歌が「文脈」と「批評」でなりたっていたという短歌史。今の短歌界が無風状態(俳句界でも言われていることで社会全体がそうなのかもしれない。外の世界は激動なのに)であること。批評がないことなどが問題として上げられていて、いい本だと思いましたがもう絶版されている。十年も経っていないのに。
例えば写生の文脈を受け継いでそれを発展させた斎藤茂吉と茂吉短歌の「万葉調」に疑問を投げかける釈迢空の短歌史があった。そして戦後になってそれと断絶するような女性歌人や前衛短歌が出てくるのも「文脈」と「批評」ということで整理していく。
戦後に葛原妙子らの女性歌人が従来の耐え忍ぶ女性歌人のイメージではなく(釈迢空の「女流」というのとは違う)、塚本邦雄の前衛短歌(批評)ともつながっていく同時代性。
そこで現代短歌になったのは、釈迢空と斎藤茂吉が亡くなって戦後に葛原妙子や塚本邦雄が出てきたということだと述べている。
葛原妙子が「文脈」で塚本邦雄が「批評」ということなのかな。葛原妙子はそれまで抑えられてきた女性性の発露として、女性短歌が全盛になっていく。その理論的中心が塚本邦雄なのか。
葛原妙子は戦時は耐え忍ぶ女というような家父長制の元での短歌を詠んでいたが、それが戦後になって変化して女性性を詠っていく。
川野里子は葛原妙子が釈迢空「女流短歌」論を受けて、女歌が「アララギ」から閉塞され明星派(与謝野晶子や山川登美子)のような浪漫派的な歌人を出さなかった。しかし釈迢空(折口信夫)が考えていた女歌は与謝野晶子(『みだれ髪』)よりも山川登美子の白百合のポーズ(媚態)としての女流短歌をイメージしていた。
髪長き 処女と生れ白百合に額ぬかを伏せつつものをこそ思へ 山川美登里
そこに葛原妙子は戦時の日本で押さえつけられていた母性(男の理想像)としての女性よりも女性性そのものを読む(そこに西欧と対峙するキリスト教的自意識の芽生えがあったのかもしれない)。そうした批評性と短歌史の学び。
また後半は文語について、それが創作されたものであるならば正しい文語よりもそれぞれの個性としての文語があり、茂吉ならば「万葉調」(万葉もどき)の文語体でそれは茂吉が創作したものだとする。現代短歌で口語から文語に移行する歌人も、そこに創造された異世界を見るわけで、それが日常的な口語よりも文語で表現するということだった。例えば大震災のあとで異世界を体験した非日常性を文語で呼び覚ますのは異体験としての重さを引き出すということだ。そこに日常との「私」との乖離があり、歌人が現実ではない異世界(物語世界)を見出す。
最近の「ニューアララギ」というのは、ニューウェーブ短歌のあとの「口語化」ということで、口語短歌が詠嘆表現を獲得していくなかで土屋文明の再発見であるという論を『短歌 2024年10月号』より特集「現代歌人と歴史意識」の楠誓英『「ニュー土屋文明」ということ』で読んだ。
大震災のときに「全電源喪失」というどこにも繋がらない絶望感のあとで、なおも何かを伝えようとする表現とは何か、それはネットでの日常言語とは違うものになるという。その「私」性との距離感が口語より文語を呼び覚ますのかもしれない。