枯葉散る多作多捨の吹き溜まり
枯落葉。人生枯落葉だから一日置きに調子が良かったり悪かったり。昨日は引きこもり日にするつもりだった(雨予報だし、図書館に返却する本も借りたい本もなく、見たい映画も次週もやると思ったので)。なんとなく今日は行動日にしたのは日曜はまた俳句やら短歌をやることになるかと思ったのだった。そういう感じで俳句と短歌のレッスン日に当てたのだが、岸本尚毅『高濱虚子 俳句の力』が面白い。今まで思っていたこととは真逆だった。そこが虚子のわかりにくさなのだろうか?ただ全面的に虚子に与しはしないのは、やっぱ虚子には差別意識があると思う。だから選句なんてことを長年やっていられるのだが。
あと現代俳句協会の動画が面白かった。
明日NHK俳句を見てからのアップになると思うのだが上げておく。最近の若手の俳句観とベテラン俳人の感性の違い。現代俳句協会の青年部が49歳以下というのも驚きだが、それでも311人しかいないのかと思ってしまった。俳句人口は一万人ぐらいはいるだろうと思っていたのだが(一千万人という話もある)。まあ、一回ぐらい詠んだという人(学校の授業としてある)と俳句を毎日詠んでいる人の数は違うと思うが。
現代俳句協会の青年部の現実を見てこの数字かと思う。全体では一万人ぐらいなのかな?
今日の一句。
隙間風が季語だな。また山本山とかいわれてしまう。山本山が好きなんだからしょうがないと開き直るか。
まあ、でも句会もあるし、ここは注意して作ろう。
火葬されているという意味じゃないけど、無意識的にはそう思っているのかもしれない。何も考えないで作ったから。
ネット句会が18日の締め切りなので、その日までまともな句を出したいと思うのだが、虚子に言わせるとあまり詰め込み過ぎないこういう句がいいみたいだ。俳句はスポーツ説。頭でひねり回すのは良くないとのこと。こんな句を出したら俳句を真面目にやっている人は怒るかもしれない。
ブラックにするならこんな感じだった。俳句人口だと敵を作りそうだからここは共感を得るようにするのか?
そうだ一つの題で五句ぐらいつくるとネタ切れになっていい句が出てくる説。多作多捨ということだった。今日最後に
いいんじゃんない。「多作多捨」は俳句でもあるし、いろいろ想像出来る気がする。今日はこんなところか。短歌は作ってなかった。カレーの題だったのだが以前作ったと思ったが出てこなかった。そんなもんだ。
このぐらいか?