シン・現代詩レッスン127
四元康祐(翻訳)ディキンソン「言葉について」
『ダンテ、李白に会う 四元康祐翻訳集古典詩篇』からディキンソン「言葉について」。前回重大な誤りに気づいた。ディキンソンをディケンソンと書いていたのだ。だから検索してもあまりヒットしなかったのか?謙遜の詩人ではなくキンソンだと覚えればいいか?一度間違えて覚えてしまうとずっと続くから注意が必要だ。それで今日もディキンソン。言葉は大切にしないと呪われるという詩か?
こういうところがディキンソンの好きなところだよな。言わなきゃいいものではないのだ。言ったあとに後悔するのだが、言った方がいろいろ花実を付けることもある。間違いに気がつくのも個人の有限性を示してくれる。ディキンソンの詩は見習い詩人の為にあるのだな。
さすがに誇大妄想タイプの引きこもり詩人だった。トランプの艦隊なんて、一冊の書物ほど怖くはないぞ。その取り巻きが吠えようがおれたちの詩にかなうわけもない。一銭の通行料なしでというのがいい。関所と言えば逢坂だ!
歌は世に連れ、世は歌に連れということだろうか?「人間の精神を運ぶこの乗り物」というのは神ではなく言葉なんだ。慎ましくはないけど。
もう虜になってしまう言葉ばかりだな。そう言えばディキンソンに惹かれたソングライターとして、テイラー・スウィフトがいるということだった。『ザリガニの鳴くところ』という映画でのテイラー・スウィフトの歌が神がかっていたな。
そろそろまとめに入りたいのだが、浸ってしまうディキンソンの言葉だった。
これこそが自分が書きたかった詩だった。
最後は虚子的だが、四元康祐はディキンソンの言葉は人間から独立した(言霊)のような霊性があるという。
Google日本語変換でにじの漢字変換が出来ない件。いらつく!