押し問答か?
『おしの』
キリスト教の教えへの素朴な問いみたいなものだろうか?おしのの言うことは勇ましいけどそれが当時の日本の風潮だったのか?その割にはけっこう芥川はキリシタンものを繰り返し書いている。それは西洋の一神教に対する問いだったのかもしれない。芥川は神的なものを求めていたのはわかると思う。その揺れがあった。ただここでは勇ましいことを言っているが。それとおしのは自分自身の救いよりも息子の救い、また夫の手柄という自分の悩みでもなかった。太宰が『駈込み訴え』は夫に対する不満だが、そもそもおしのには不満などなかったのか?
『子供の病気』
次男の多加志が消化不良を起こした時の随筆。子供を心配する親の気持ちがストレートに書かれている。そのことはまた病気になると困るから書かないと書いているに書いている。よくわからんな?原稿の依頼があったから書いたのだと。
『おしの』はこの多加志の病気のことが影響して書かれているのだと思うのだが。母が法華経に願をかけたようだが妻がご先祖様のご利益だと言っている。