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ディストピアよりレクイエム小説としての『複眼人』

『複眼人』呉 明益 (著), 小栗山 智 (翻訳)

「こんな小説は読んだことがない。かつて一度も」ル=グィン(ゲド戦記)

〈台湾民俗的神話×ディストピア×自然科学×ファンタジー〉
時に美しく、時に残酷な、いくつもの生と死が交差する、感動長編。

次男が生きられぬ神話の島から追放された少年。自殺寸前の大学教師の女性と、山に消えた夫と息子。母を、あるいは妻を失った先住民の女と男。事故で山の“心”に触れた技術者と、環境保護を訴える海洋生態学者。傷を負い愛を求める人間たちの運命が、巨大な「ゴミの島」を前に重なり合い、驚嘆と感動の結末へと向かう――。
人間と生物、自然と超自然的存在が交錯する世界を、圧倒的スケールと多元的視点で描く未曾有の物語。

台湾の小説家は初めて読む。映画も近年公開されているが小説家は知らなかった。芥川受賞作家李琴峰が台湾出身の作家だが神話的な作風は似ているのか?ただ呉明益のすべての作品に当てはまるとは思わないが。たまたまこの作品が神話的だったのかもしれない。

読後感がいいのは、最後の歌が、ボブ・ディランの「激しい雨が降る」が引用されているから。大きな物語と小さな物語とヒロインがいうのだが、小さな物語は歌のことだった。台湾先住民の歌が出てくるのだが、最後にボブ・ディランの歌。ボブ・ディランの「激しい雨が降る」は、ノーベル受賞式にディランの代わりに出たパティ・スミスが歌った曲だ。これはやられた。

実際にこの演奏が2016年なのだ。この本が書かれたのが2011年。でも新装版が2016年だから、もしかしたらこの「激しい雨が降る」は付け足したのかもしれない。それでもそのラストは違和感ないというか、先見の明がある。そういうアンテナを持っていることは大作家としては重要なことなのだろう。

パティが「激しい雨が降る」を歌ったのは12月10日だった。だから、パティが歌う前に書かれたことになる。逆だったのだ。パティがもしかして、この本を読んで歌ったと考えられることも出来る。

台湾というと日本の占領地時代のことにどうしても行ってしまいがちだが、ここでは別の台湾の側面を見せる。台湾の先住民たちの多様性。台湾が一つの民族からなるのではなく、海の民もいれば山の民もいる。そういう人々が重なりあって住んでいる。その群像劇だ。

デンマーク人のアリスは作家を目指していた教師だが、夫と息子を台湾の山で遭難してひとり海の家に残される。その台湾の海がゴミの帯に囲まれ大津波の後に海の家はゴミの海に沈んでいく。

まず思い浮かべたのが、東日本大震災の大津波の情景だ。台湾も大地震があたニュースが記憶にある。地震や台風と言った自然災害が多い地域なのだ。その中で自然の知恵を学びながら暮らしている先住民たちは神話の中でその教訓を活かし自然を神々として恐れ敬う。

そうした自然災害の一方で人災による災害がある。ゴミの海が押し寄せるのもその一つだが、自然に対しての乱開発もある。人々の欲望によって、より豊かな生活を望むあまり、自然界の生物を絶滅に追い込んだり、貴重鉱物のために乱開発をしたりして自然の山々を崩す。

そうした一つの象徴として鯨が、先住民の神話だと死んだ魂が鯨となって海を漂っているという物語を語り伝えていた。その鯨も海の汚染と共に住む場所がなくなり、チリの山にまで逃げたという話だ。干からびた姿となって。

それは一部の神話にすぎずメインの話でもないのだが、台湾で生活する様々な人々がそれぞれ持つ神話が折り重なって生きているのだと知る。ディストピア小説とされるが、よく読むとファンタジーのような気もする。レクイエムなのだ。死者を弔う為の。それは人類だけを言っているのではない。鯨もそうだ。

この本の表紙絵が素晴らしいと思う。表紙の絵をよく見ると小説の情景を絵にしているのだ。鯨の頭に沈んだアリスの海の家がある。そして、遠景に夫と息子が遭難した山々。また鯨の他に船は遠洋を漂う原住民の若者だ。さらに「激しい雨」が降っている。


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