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モラルの問題━個人と群衆

『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田香代子 (翻訳)

1956年初版刊行以来、半世紀を超えるロングセラーが、いま、1977年の決定版よりの新訳で生まれ変わる。

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〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉

オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクル(1905-1997)が、みずからの収容所体験を綴った『夜と霧』は、1956年、日本語の翻訳が出版されるや、大きな衝撃をもたらしたばかりか、ナチスによるユダヤ人大虐殺=ホロコーストを象徴する言葉となりました。

「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描いた本書は、日本では、フランクルと同じく精神科医の霜山徳爾先生の名訳により、今までに100万近い読者の方々の手元に届けられています。また、世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっています。原著の初版は1947年、日本語版の初版は1956年。その後著者は、1977年に新たに手を加えた改訂版を出版しました。

世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれた今回の新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したもの。新たな世紀にはいり、20世紀を代表するこのすばらしいテキストが、若い読者をはじめ、より広範な読者に迎えられるよう、旧版にある長い解説や写真類は省いて、フランクルのテキストに集中できるように編集しています。

翻訳はドイツ語圏の翻訳者として定評のある池田香代子先生、霜山先生の解説がつきます。
また、今回の新版は、資料類などを省いて新たに翻訳しただけにはとどまりません。1977年の決定版による「新版」は、章や小見出しが付されているばかりでなく、ちょっとした語句の訂正からパラグラフ全体の追加や削除など、旧版とはかなり趣が変わっています。そこには、戦後世界を見据えてきたフランクルの思いがこめられていて、これについては、池田香代子先生の「訳者あとがき」に触れられています。

私とは、私たちの住む社会とは、歴史とは、そして人間とは何か。20世紀を代表する作品を、ここに新たにお送りします。

堀田季何『人類の午後』でフランクルの「夜と霧」という言葉はナチスが出した法だと知った。ナチスに反抗するレジスタンスを消していくのだ。それが「夜と霧」法でフランクはその犠牲となって、精神科医というよりもひとりの収容者(個人のないナンバーで呼ばれる)としての体験を綴った本である。

群れの中でモラル(強制)を受け入れる人間は自由にはなれないのか?収容所から解放されたあとに被収容者が怒りっぽくなったというのは、この自由な社会にあまりにもモラルがなさすぎるからだった。それはソ連の強制収容所から日本に還ってきた石原吉郎の姿と重なる。孤独でいることの自由と群れのモラル(法)に従うか悩ましい問題である。イスラエルがパレスチナを攻撃するのは、そこが無法地帯であると思うからなのか。群れと個人の問題を突きつけられた。

新板では旧版にあった「モラル」という言葉がほとんど削られているという。それが2002年の翻訳だったのだ。今だともう少し「モラル」という言葉が増えているかもしれない。

「夜と霧」深い読書だった。


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