ビート詩人としてのギンズバーグ
『アレン・ギンズバーグ: カウンターカルチャーのビート詩人』谷岡知美
著者はギンズバーグが次世代のボブ・ディランらに影響を与えたビート詩人としてのギンズバーグに注目する。それは同世代の仲間に語る(ケルアックやニール・キャサディ)等身大の語り口(上から目線ではない)、そこに一行の息で一気に語る手法(ビート)を生み出していく。ただギンズバーグは同時にホイットマンの壮大な詩からも影響を受けていた(ギンズバーグの詩を模倣しようとし、やり難さのようなものを感じたのは、その世界観の大きさだったか)。
『吠える」で圧倒的な若者の支持をうけたのはそういうことだった。さらに『カディッシ』では精神病を患った母のドラマをエレジーで語るなど伝道師の一面もあった。そこに私小説的なものを社会性へ繋げる。エレジーが美的なものではなく醜さもかたることによって、善悪の捉えがたさ、また醜悪なものの中にも尊い生を見出していく。
『アメリカの没落』になるとバロウズのカットバックの手法なども取り入れて移動する電車や車の車窓から見える広告やヴェトナム戦争のニュースなど織り込んでいく。その渦に巻き込まれていくアメリカという存在は、『白鯨』を描いたメルヴィルにも通じていく。そこがギンズバーグが内輪だけの詩人ではなく、それまでのアメリカの伝統にも通じているという。
モダニズムを継承しながらポストモダンな詩人であるということが現代のポップスターとしてギンズバーグが支持されるということだった。