シン・短歌レッス83
古今集の和歌
鈴木宏子『「古今和歌集」の想像力』のさらに続き。
恋四「熱愛から別離まで」
恋四は恋がピークに達して、燃え上がった恋が一気に冷めて別れまでに発展するのだ。まず「恋四」の巻頭に置かれている熱烈な歌から。
「陸奥(みちのく)の」という漢字はこう書くのか。恋の迷い道というところだろうか?「安積(あさか)の沼」は地名で安曇野だろうか(歌枕になっていた)?「花かつみ」は花菖蒲のことらしい。
続く凡河内躬恒(おおしこうち の みつね)の歌が面白い。恋四の解説みたいな歌。
「かれはつ」は掛詞で「枯れ」と「離(か)れ」を意味している。やがて遠ざかる恋人の姿を歌っているのだが、今は夏草のように激しく萌えているということだろうか?
次は女性の歌で男の心変わりを嘆く歌。
この後に紀貫之の恋四の歌が解説のように挟まる。
紀貫之の歌は女性側とも男性側とも取れるのが味噌かな。「移ろ」は「虚ろ」の掛詞であろう。
次は恋文を相手に返すという女性の歌。
藤原紀香かと思った。藤原因香から命名されたのか?なんとなく貴族っぽい名前だった。
恋五「失われた恋の追憶」
訣別のあとに追想の歌があるのが抒情詩ならではスタイルなのか?
伊勢の歌が二首。伊勢は『古今集』編者たちと同時代の女性歌人で人気があったという。
飽きられて、忘れられて──恋の終焉
そして紀貫之の歌が解説的に挿入される。
「あき」は「飽き」と「秋」の掛詞。「初雁」は秋の縁語。「秋」は王朝人に取っては悲哀の感情を醸し出すものだった。
『古今集』の恋四の中心に置かれる素性法師の「待つ女」の歌は『百人一首」でも取り上げられ解釈も二通りある有名歌だ。
「長月の有明の月」の解釈を一晩か、秋の終わりまでなのか二通りの解釈された。
古今集は配列によって解釈を打ち出していた。それは最初の一晩待ち続けた歌として、次の恋人が訪れるのを期待して待つ女の歌が続くからである。
恋人が来ないので戸を締めて寝てしまったという歌。この前に男の歌がある。
古今集は歌の繋がりによって、編集的にストーリーを組み立てる。それは本来持つ歌の解釈を狭めるものだが、歌から物語が形作られる「歌物語」的な要素もあるのだった。それは後世の文学に大いに影響を与えた。『伊勢物語』や『源氏物語』は『古今集』から多く引歌とされているのが、今なお『古今集』の重要性を示しているのだ。それも紀貫之らの編集作業であった。
「うたの日」
お題「宿題」難しいな(8/11 9時代)。
『百人一首』
いまいちだ。次の日(8/12)、「カブトムシ」
これにした。甘いかな?♪2つ。♡への道は遠い。
映画短歌
『テノール! 人生はハーモニー』
『百人一首』
「ライム」はヒップホップの「韻」を踏むことです。
『テノール!人生はハーモニー』もう一首作っていた。暑くて前作ったのを忘れていた。
『百人一首』は紫式部だった。けっこう好きなんだよな。
八八の字余りだ。怒りが字余り。
NHK短歌
山崎恥子「怒っていたこと」。ゲストが関取花だ(名前とは裏腹に可愛い。こういうことを言うと怒られる!)。
「怒っていたこと」で選ばれた短歌は怒りを抑制する気持ちみたいな歌が多い。本当の怒りの歌は子供の歌ぐらいだった。「怒りを押さえてこそ、大人」という雰囲気がある歌が選ばれる。短歌だったら言えるということだという。短歌で読むことで浄化するという。逆に短歌で読むことによって怒りを焚き付けられないか?そっちの方がいいと思うが。特にこんな同調圧力の強い社会では。若者よ、もっと怒れよ!と言いたくなる。
「結句」を重要視するという前回の教えがあったのだが、あまりにも芸がない言葉だった。盾にしようか?矛盾だ。
NHK短歌投稿。