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シン・現代詩レッスン82
田村隆一「緑の思想」(1967年)
わからないとしながらも進めなくては仕方がない。こうして筆記することで少しは理解できるのか?
緑の思想
それは
血のリズムでもなければ
心凍るような詩のリズムでもない
あの渦動状なもの
あまりにも流動的で不安定なもの
なにか本質的に邪悪なもの
「緑の思想」ってなんだろうと?と思う。緑の党と関係してくるのか?エコロジー的なものを言っているのかもしれない。「血のリズム」とか「心凍る詩のリズム」とかそっちのほうが「本質的に邪悪なもの」に感じてしまう。少なくとも田村隆一はリズム好き。それは音韻のリズムだろうか?奴隷のリズムと言った(小野十三は「奴隷の旋律」だった)。
田村隆一が定型詩に憧れ斎藤茂吉をリスペクトするのは、そういうことかもしれない。血のリズムって、戦争体験のことなのか?そういう人にとってエコロジーは胡散臭いのだと思う。確かにエコロジーにまつわる運動、SDGsとかは胡散臭いような気がする。欲望の側に立ってきた人間の思想が、それを抑制せよと言ったところでご都合主義は免れんだろう。エコロジーのための開発とか原子力推進とか「本質的に邪悪なもの」かもしれない。
この世界では
病むということは大きな特権だ
腐敗し分解し消滅するものの大きな特権だ
「この世界では」というが
海と都市と砂漠でできている世界のことか
それとも
肉と観念と精液でできている世界のことか
きみは人間を見たことがあるのか
愛撫したことがあるのか
このへんになると保守親父の酔っ払いだな。特権という弱者批判。維新の会みたいだ。次のスタンザは砂漠の都市ドバイのような。ドバイはやり過ぎだよな。石油産油国だから出来ることだった。
次は戦中派の欲望論みたいだ。愛撫しなくても滅びることは出来る。すでにそういう欲望主義が嫌になっているのだ。酔っ払いの説教かよと思ってしまう。
「愛」と一言ささやいてみたまえ
人間はみるみるうちに溶解してしまうから
「正義」という一言叫んでみたまえ
でたよ。親父の正義論が。
全世界は炎と灰だ
燃えている部分と燃えつきた部分だ
部分と部分の関係だ
資本主義と植民地主義みたいなことを言うな。戦中派のたわごとのように聞こえる。
球体のなかにとじこめられいる球体
たえまなく増殖したえまなく死滅する
緑の球体
有限性を言っているのか。そこで死滅するのが地球のためになると言っているのか?
同時代の美しい死者への感情移入よりは
やわらかい胸毛におおわれた鳩になることだ
夏草の上のをなめらかに這う蛇になることだ
鳩になったり蛇になったり大変だ。もう酔っぱらいの戯言にしか思えない。
もし人間の子がはじめて二本の脚で立ち上がり
裸体のまま戸口の敷居をまたぐなら
先ほど死者の感情移入を否定した側から生者の感情移入をしている。どちらもファンタジーの美の世界だった。
眼のなかを飛ぶもの
虹色の渚から暗緑色の空間に向かって飛ぶ
光りのようなもの
もし人間に眼があるなら
ほんとうにものが見える眼があるならば
球状の子午線から
球状の窓から
球形の人間がなにかを叫んだとしても
ふりむかいないほうがいい
最初のスタンザはもろファンタジーだ。詩人だからファンタジーを唱えるのはお手の物と見える。
他人の眼よりも自身の老眼を心配したほうがいい乱視もはいっているかも。乱視者がかつては詩人と呼ばれたからな。もうそんな詩人の言葉にもふりむかない時代なのかもしれない。
血の思想
それは愛のリズムでも
こころ温まる詩のリズムでもない
この世間には声がデカい酔っぱらいがいるものだ
やたらと過去を賛美し自身を英雄譚として語る
もう爺の愛や英雄譚はうんざりだから早く寝てくれと思う
誇大妄想の夢は酔っ払いの世界
覚醒剤でも酒でも依存症
自分の言葉に酔いながら自身を正当化する
それが本当に正しいのか顧みずに
あんたらが作ってきた世界は糞だ!
それをいわせないでくれ!
どうせ滅びの世界だと
実朝も太宰も言っているではないか
わざわざ三島になる必要もあるまいに