紀貫之の和歌
桜の花を人の心に見立ているのだが、桜の花より散りやすいのは人の心と言っている諧謔性。ただこの歌は「おもほえず」の言い方が歯がゆいような。『古今集』の紀貫之の桜の歌の多さはなんだろう。
「春歌下」だけでも12首もあり、それ意外の巻にもあるようだからよほど桜好きで桜の歌には自信があるのだろう。それも「散る桜」に美意識を見出しているように思える。人の心もうつろいでゆく刹那感がいいのかも。
古今和歌集 巻第二 春歌下
ついでだから他の有名歌人の桜のうたも見てみよう。
良岑宗貞(よしみのむねさだ)は、遍照の(出家前)の名前。
やり始めてから後悔するほど桜の歌が多すぎる(紀貫之と詠み人知らずは省いているのに)ので小野小町で打ち止め。やっぱ一番は小町ちゃんでしょう。紀貫之を入れるとちょっと悩むかも。『古今集』に在原業平の桜の歌はなかったのか?「春歌上」にあったんだ。「春歌上」はまだ咲始めのようで、「散る桜」が「春歌下」になるのだった。いったい『古今集』に桜の歌はいくつあるのだろう(桜と書かれてあるだけで上下合わせて73首という情報、「花」もあるからな想像出来ない)。『古今集』の桜を分析できたら論文一つは書けそう。
大森静佳『ムッシュ・ド・パリ』
水原紫苑編集『女性とジェンダーと短歌』を借りてきたので女性歌人の研究。大森静佳は巻末の座談会「現代短歌史と私たち』にも参加。若手No.1の歌人のようだ。大学生短歌というエリートコースを歩んで、現代短歌の中に伝統短歌を模索するというような。ネットなどの「短歌」をスモール・トーク(内輪言葉の短歌)だとすれば、ビッグ・トークの「短歌」だという。この座談会は面白いからいつか紹介出来たら紹介したい。ここでも水原紫苑と川野里子が対立していくのだが、それを上手く収める穂村弘の構図だった。余計な話が多すぎる。
大森静佳『ムッシュ・ド・パリ』(作品100首)からお気に入り十首(ぐらい)。
十首以上になってしまった。それはこれが物語短歌であるからだ。最初に重要なユゴーのエピグラフがあった。
それからⅠは日本の日常の情景。「変声期」の歌から過去の情景だと思われる。思春期なのか?「くるしみの」の歌から母と父が読まれているから、そんな思春期の家族の状況だろうか?
Ⅱとなって、2019年のパリ旅行の観光短歌。親子水入らずという光景か?「燃え落ちる尖塔」は火事になったノートルダム寺院、そして薔薇窓は葛原妙子の短歌からの引用だと思う。ギロチンのパリをイメージして人の残酷さを描いているのか?「空洞は鳩の特権」って料理だろう。贅沢三昧の旅行者。
そして、一転コロナ禍の日本の現在となるのだった。もしかしたら母を亡くしたのかもしれない。
この短歌が一番強度があるだろう。クライマックスと言ってもいい。その前に母が亡くなっているのだ(コロナによって?)。先の歌で「ユーゴー」と言った君は母かも知れない。たぶんユーゴーで表記された時代があったのだ。自分もユーゴーで覚えていたような気がした。
母と葛原妙子が重ねているのは、葛原妙子も娘との対立があったからだと思う。この連作が娘と母の対立と和解を詠んでいる構成なのだと思う。連作短歌の物語性というところに興味を覚えた。
うたの日
「秒」だな。「秒殺」とか。刹那と時間だろうな。
「百人一首」は小野小町にしよう。
これでいいや。もう出かけたい。♪一つだった。こんなもんか?
映画短歌
『コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って 4Kレストア版』
『百人一首』
こんなもんかな。