ドキュメンタリーだけどUSロック的な技がある
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディ みかこ(単行本 – 2019)
大人の凝り固まった常識を、
子どもたちは軽く飛び越えていく。
世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、
落涙必至の等身大ノンフィクション。
優等生の「ぼく」が通い始めたのは、人種も貧富もごちゃまぜの
イカした「元・底辺中学校」だった。
ただでさえ思春期ってやつなのに、毎日が事件の連続だ。
人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。
時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり。
世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子と
パンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。
Yahoo!ニュース|本屋大賞2019
ノンフィクション本大賞受賞
結構以前から読んでいたのだが親バカの「息子は優等生」的本かなと思って中断していた。ブレイディみかこさんは、けっして嫌いではないのだが(「高橋源一郎『飛ぶ教室』の準レギュラーだし)、こういう家族話は敬遠してしまう(家族関係は卒業してしまったから)。
今回読了出来たのは子供には子供の視点があるのだということ。子供と言っても中学生になると自我が目覚めて親の思考とは違ってくる。この本でもフレディみかこさんはアジア人にシンパシーを感じていたが息子は感じていなかった。ただよそ者と見られるイギリスや日本での視線で他の移民の友達と同じ体験を共有していること。それがエンパシーかな。同情ではなくその中で生きている共生感。
ひとつだけヒントがあったとすれば映画とか音楽の文化で繋がるということか。それも民族主義的なものではなくポップス的なもの。民族主義的な家庭で育った差別的な家庭の中で育った友達と息子が『ボヘミアン・ラプソディ』を見に行った話が良かった。息子は親と映画鑑賞は嫌で親と別々の映画館に入ったのだが、帰りの車の中では運転する父親と一緒に大合唱。同性愛に偏見のある息子の友達もその中で楽しむ。大衆文化の力か。でもそこに資本主義が入り込むからすべてがいいとも言えないのだが、だいたいその線なのかな。ただ自分はロック的なものよりジャズ的なものを求めてしまう。
「リアーナ」と呼ばれた娘の話が途中なのだが気になるじゃないか。もう再会はないのだろうか?続編はあるのかな?ドキュメンタリーとなっているが語り方は小説(物語な家族)的なので読みやすいと思う。