ガムテで留めだけの村祭
『新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」 アウトロー俳句』(編集)北大路翼
新興俳句は都市の季節感のなさによって無季を歓迎したが、「アウトロー」俳句は季節(故郷)を対比として使っているような気がする。主催の北大路翼はそのへんはスジを通すヤクザもんなのか有季定型の句が多く選ばれているような気がする。
無季だとアナーキスト俳句になるかもと思った。 例えば彷徨う都会生活でふと言霊として呼びこむのが季語としての共同体としての抒情だろうか。それは室生犀星がいう「故郷」なのだ。その対置が都会には虚無的に響く。だから「屍派」と言えども徒党を組む。一匹狼ではないのだ。
薬師丸ひろ子が季語になるなんて笑った。誕生日が六月とか。6月9日生まれ。忌日が季語になるなら誕生日もか?
内田裕也は季語とした場合はやっぱ夏なんだろうなとか?
「六本木ヒルズ」は夏?冬?
そういう風に考えると背景としての物語が広がっていくのだ。それが短詩ではなく俳句の所以であるところなんだと想思う。
喫茶店で出される炭酸ものに付き物の缶詰のさくらんぼだが、「さくらんぼ」の季語が夏以上にこの俳句は夏のイメージに溢れている。炭酸が抜け氷が水っぽくなった飲み物に色褪せたさくらんぼだけが取り残され、グラスの中に決着のつかなかった夏がある。読みを誘う俳句だった。
「ガムテ」というコミュニティは都会限定のあるグループを指す。そして、その対置に村祭があるのだ。しかし、この句の中に同時に存在する相反する二物衝動によって懐かしき音楽が流れてくる。