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ポセイドンは見た白鯨戦

『ダイオウイカは知らないでしょう』西加奈子、せきしろ

気鋭の作家、西加奈子とせきしろのふたりが、五・七・五・七・七のリズムにのって、常識ハズレの短歌道に挑みます。雑誌「anan」で一年半続いた人気連載『短歌上等!』が待望の書籍化!  三十一文字に秘められためくるめく妄想と物語は味わい方も無限大。歌人の穂村弘氏をはじめ、サンボマスター山口隆、ミムラ、山里亮太、ともさかりえ、星野源、光浦靖子、いとうせいこう、山崎ナオコーラほか音楽界、女優界、お笑い界、文学界など各界からの個性豊かな14人のゲストたちとともに言葉遊びの世界を自由自在に大冒険! 俵万智氏も驚いた"規格外の名歌"が続出です。なんだか……短歌?
目次
上手くなるから待ってろ、短歌!―ゲスト・穂村弘さん
人間、年を取ると自然とやさしくなれるんだな。―ゲスト・東直子さん
「青春」なんて本当にみんなの中にあんのかな。―ゲスト・山崎ナオコーラさん
午後四時は空白の時間帯なんです。―ゲスト・いとうせいこうさん
恋に落ちるには、最初はいろいろ見えんほうがエエ。―ゲスト・山里亮太さん
安達太良山を見ながら『智恵子抄』を読んでたんだ。―ゲスト・ミムラさん
鎌倉へ吟行に出かけてみました。
短歌で遊んでみました。吉祥寺『ルノアール』にて。
短歌を読むと、その人の悩みその中が透けて見えるよう。―ゲスト・光浦靖子さん
顔を白塗りして安全ピン刺して、ですよね。―ゲスト・星野源さん〔ほか〕

作家の西加奈子が短歌に興味を持ちせきしろを誘って一年間短歌に挑戦するという「anan」の連載企画。最初は字余りばかりのせきしろ(自由律俳句の影響か)が最後の方は定型に収めてきて進歩の過程が伺える。せきしろは文学的センスもあるので、短歌の勘所はもともとあって、歌心のツボを持っていた。むしろ西加奈子の大胆さの歌が面白かった。ゲストも歌人ばかりではなくミュージシャンとかお笑いタレントとか一緒に短歌を作る回が面白い。最初と最後は穂村弘が指導するのだが。

久しぶり初めましてと重なってあたしわらうよわらうよみてて 西加奈子

お題「初対面」、ゲスト穂村弘

これが最初の短歌なんだが形は出来ていた。口語のリフレインも上手いかも。ただ俳句だったら「みてて」は余計だと言われる。もう分かっていることだから。定型に合わせた感じか?「あたし」という口語が性格出ている。穂村弘の解説ではストーリーが出来ている。「久しぶり」の初句切れがいい。これは「あたし」が適当に言ったら相手が「初めまして」と言ったのか、その逆なのか?最初の短歌が

初めまして久しぶり初めまして 重なるグラスわたし真ん中 西加奈子

こっちの方が状況は描けていると思うが。定型に拘ったのか?コントっぽいというのが穂村弘評。

初めて会ったのに初めてじゃないみたいという嘘を初めてつくカットフルーツの香りの中 せきしろ

壮大な字余りだが「カットフルーツ」から下の句で、上句と下句で分けられて歌の形にはなっている。「初めて」というリフレインを重ねたのはそれなりにリズムを生み出している(せきしろリズム)そして「カットフルーツの香りの中」は8+6で定型にはなっているのだった。穂村弘も下の句を誉めている。最初にストーリーで、そして切り取った情景(匂い)。最初の字余りを処理すれば上手いと思う。

お題「寅」、ゲスト俵万智

寅年だったのか。今が巳年だから去年か(辰が間にあった)?

俵万智も干支で十二首作っているという。

いらっしゃい!太った?元気?腹減った?寅の娘が笑う食堂 西加奈子

口語の入れ方が上手い。新年の歌に相応しい明るさ。「寅の娘」は寅さんの娘ではなく、寅年生まれの母の娘ということだった。友達の店らしい。この歌を贈られた喜ぶだろうな。色紙に書いて飾ったりして(短冊でもいいのだが)。俵万智は、この「寅の娘」がわかりにくいので、「看板娘」とかにしたほうがいいという。それはその店オンリーの歌ではなく一般化だろう。

寅年を虎年と書くキミの事 好きだった時と嫌った時 せきしろ

キミはタイガースファンということではなく、単なる無知が許せないという歌だという。正月からそれはないだろうと思う。別に表記なんてどうでもいいじゃないか、こういう細かい神経質な男は嫌だった。俵万智は心の微妙な動きが良くでているというのだが、正月からそれはないぜと思うだろう。

聴いたときには「寅年」と「虎年」も変わらんという本人の言葉、タイガースファンなら一生許せないというオマエはジャイアンツファンか!

お題「ダイオウイカ」、ゲスト穂村弘

あの方が覚悟を決めた瞬間をダイオウイカは知らないでしょう 西加奈子

「ダイオウイカ」は大王と付いているので、我々のことはよく知らないのじゃないかという歌だという。「あの方」は天皇とか思ってしまったがそれも「大王」と重なり合っているという。ただここは「あの方」の世界(地上)と「ダイオウイカ」(海)という対比があるのかな。この歌はいいという穂村弘の言葉。

もしもだよ ダイオウイカと戦うなら注意すべきはあのアシ不惑 せきしろ

定型に収めてきていた。「不惑」は四十歳ということなのだという。語り手を一人称とするからこの「不惑」が生きてくるという。でもそれが四十歳でいいんだろうか?四十歳ならダイオウイカとは戦わないのではないか。「白鯨」の船長みたいな奴なのか。仮定の話は、ダメだろう(全然不惑じゃない)。そっか最初の言葉は他者なのか?それに不惑という立場なのか。カメラが引いていく表現だという。


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