シン・短歌レッス119
王朝百首
塚本邦雄『王朝百首』から。坂上是則。紀貫之が催す歌会。庭園の小川に盃を浮かべてそれが回ってくる間に一首詠むという歌会で漢詩の題詠は「月入花灘暗」。落花を浮かべて急流を下る、三日月も山の影に隠れようとしているの意。望月だったらもっとはっきり見えたのにの意味か?
NHK短歌
これ初心者コースだったとは。かなり内容が濃かった。情景を変えてしまう言葉を一つ入れて短歌をつくることで別世界に連れて行く(幻想短歌か?)
最初から最後まで異世界だった。一つだけっていうのは難しい。
西行
辻邦生『西行花伝』読み始め。序、西行の弟子の藤原秋実は父が土地訴訟のとばっちりを受けて惨殺され、みずからも検非違使になったが不条理な土地訴訟(土地の奪い合い)があって、親戚が皆殺しに合ったとかで人生が嫌になった時に西行と出会う。
「日本人に取って短歌とは何か」
『現代にとって短歌とはなにか』から「日本人に取って短歌とは何か」。まだ短歌ブームの時代ではなく、俳句の方が勢力があったのかな。俵万智&穂村弘という2大スターが登場する以前の考察で、藤井貞和「日本人にとって短歌とはなにか」は、短歌史の外部からの振り返りだと思うが、ちょっと違ってしまった。
短歌の内輪化という今ある問題が出てこない。それは批評性の欠如だけど、例えば藤井貞和のこの批評では、沖縄の琉歌についての考察がなされているが、今はまったく忘却の彼方に追いやられている。非日本語としての短歌はますます中央集権化されてきている。
その中で面白いと思ったのが文語の第二国語としての捉え方、それがナショナルのものとして内輪での、例えば大学の短歌会とかで仲間の内輪言葉として存在する。その一方で口語短歌はますますコピーライト化して、アメリカナイズされた資本主義社会を形成している。ここで問題とされた良くない方向にすすんでいるわけだった。
何よりも批評性の欠如で、経済至上主義の売れればいいという方向と内輪化という保守的ナショナリズム的傾向が強いのだ。今は短歌ブームであるから、そういう批評性も必要としないのかもしれない。またAIと短歌という問題も出てくるだろう。俳句の方はかなりAIに脅かされているような。
現代短歌史
篠弘『現代短歌史Ⅱ前衛短歌の時代』から「寺山修司の出現」。中城ふみ子に続いて『短歌研究』の編集長だった中井英夫によっていままでの結社主義ではなく、ジャーナリズムからの歌人が登場したのだ。
中井英夫は中城ふみ子、寺山修司だけではなく、『短歌研究』という雑誌を通して葛原妙子、塚本邦雄らも全面に押し出した。これは今までの結社主義による短歌のセールスの問題なのだと思うが、その流れが俵万智&穂村弘という第2の短歌ブームを作っていくのだろう。寺山修司の手法は俳句からの短歌転用であり、全面的に歓迎された歌壇からではなく、俳壇から盗作疑惑が出されたのである。これは寺山が俳句より短歌へ自身の表現欲望を開いて行ったためにまだ結社的なものが強い俳壇からの寺山潰しが行われたのかもしれない。
自身の俳句を短歌に展開していくのはありだと思う。例え俳句の方が密度が高くても表現の欲求として閉鎖的なものを感じたのではないのか?
そしてそれが自身の俳句ではなく他者俳句でなされた時には盗作の大合唱となったのだ。短歌には本歌取りという古来から認められたテクニックがあるにも関わらず。また現代詩や文学の世界でもパロディーやカットバックという手法が大いに行われている。日本でこれだけ大事になってしまったのは、結社主義の閉鎖空間にあったのはないかと思うのだ。
寺山は歌壇も嫌になり演劇界に進出した。それ以後はマルチ作家として活躍するのである。そして最後は究極の物真似芸術の映画界に進出していく。そこでも問題を起こすのだが、ここでは論じない。
つまり寺山の成功は歌壇というよりも作家としてメディアの寵児となっていくのである。今の短歌がメディア(TVや出版)と切り離せないのもここに出発点があったのかもしれない。それは寺山修司を模倣したのだった。
『短歌研究 2024年2月号』作品観賞
吾妻俊樹「後編」
ここから十首になるのはまだ新人扱いだからだろうか?このへんも階級制度があるような。三十首歌人と二十首歌人と十首歌人。
ただ我妻秀樹はすでに書籍を読んでいた。『起きられない朝のための短歌入門』で平岡直子と対談していた理論派歌人だったか?
この入門書は読み(批評)にも力を入れていて好感が持てたのだが、ただ内輪的だったかもしれない。現代短歌の問題点が現れている入門書かもしれない。
口語短歌の言葉派といわれる短歌だろうか?難解短歌だよな。上句と下句がズラされている。何故松葉がすすり泣くのか?松葉が二本だからだろう。それが象徴しているのがカップル。喧嘩でもしてすすり泣いている情況なのか?それを嘘っぽくと感じてしまう作中主体か?
猫は愛玩のペットと愛玩のラジオの生活。それだけで満たされていくフィフティーズの歌か?アメリカン・ポップスの時代。
「わたしが生える」という植物のような言い方の上句と「たった一人のみはりのように」の下句。そしてそのわたしは分岐しているのだった。面白い歌だと思う。
「気球」は監視社会を優しく表現したのだろう。そして、結句の「大麻の写真」は完全にヤバい情況なのである。
谷川電話「丁寧なシャツ」
初めての歌人。今みんなXをやっているんだな。それが宣伝にもなるからか?
ビルの中にあるジムとかスイミングスクールのプールだろう。映画『シャル・ウィ・ダンス』の一コマのシーンのような。
でもこの作中主体(便利な批評言語か?)の人はそういうところには行かない人なのだろう(妄想でしかない)。そういう生活格差があるような。
カール・マルクスが冗談の対象になっているのか?
現状に不満がある人なのか。でもそういう人はTVも見ないだろうけど。どこか期待するものがあるのかも。何に?
これは好きかもしれないと思ったのは、サンリオ文庫『暗闇のスキャナー』の表紙を思い浮かべたからだった。真白なTシャツに青空。でも監視社会。
門脇篤史「忌意」
「忌意(ちょうい)」が読めなかった。減点1。作者の責任ではないが高級すぎる感じがする。
旧仮名遣いの難解漢字のルビ読みから大学短歌会出身者と見た。減点2
古風だから結社出身者かもしれない。減点3
ナショナリズムの匂いがするので減点5。こんなところか?
鈴木晴香「目撃者」
「白夜」の地域にいるのか?寒いだろうと思うのだがあたたかいのは気持ちの問題か?
表題作か?街路樹好きは好感がモテる。何を目撃したのか気になる(掛詞だから)。
ホテルかな?けっこう怖い街だな。もしかしてそれは当たり前なのかもと思えてくる。これ好きかもしれない。
なんか甘すぎないか?
なんかピンクレディーの歌みたいだな。「月に代わってお仕置きよ」のアニメ世代かも。題名が出てこなかった。年取るとこれだから。
意味深だな。街路樹の落ち葉だと思うが何を証明しているのかわからない。それは言葉ではないからか?現実ということか。夢から覚めた。空虚だな。
菅原百合絵「薄暮の閨」
ほんとみんなXをやっているんだな。もうパッと見ただけで苦手な幻想系タイプ。パス。
榊原紘「手塩」
なんか引っかかるがよくわからん。鉄粉とは?黒い言葉か?
いくつだよ。これから探すのさ。命には釣り合うというは難しいな。自分の詩を言っているのか。理想が高い人だな。でも、これは好きかもしれない。
芸術至上主義者なのか?ちょっと苦しいかも。
銀木犀(ぎんもくせい)か?犀かと思った。鯨幕は葬儀の幕だった。そういうことか。
「スワッグ」がわからんかった。部屋のインテリアを作っているのか?ちょっと世界が違うかな。
三田三郎「華麗なる一族」
虚構短歌(物語的な)かな。この導入部は好きかもしれない。
続きもなかなか面白い。
父さんも出てきた。
弟はエスパーか?
よくわからんけど感情が上下するのをエレベーターに喩えているのか?
車窓の歌はさっきあったな。こっちの方がリアルな故郷なのか?プールの方は都会的。こっちは地方都市の車窓か?京浜急行とか?市電かもしれないな。想像は膨らむ。そう言えば沿線で線路の近くに住んでいた頃があったな。幼い時だけど。電車の音は全然記憶にない。そうだ垣根を潜れば線路に出れたような気がした。この歌は好きかも。
佐クマサトシ「GPS」
この人はXやってなかった。ウェブサイト「TOM」で作品を発表とある。終了していた。
先の歌で鍵が同じというホテルがあったな。そっちの方がミステリーかもしれない。
滞在型のホテルなのか?今そういうのはありそうだな。ネットカフェ難民とかいるみたいだから。
OK,Google.仕様のホテルということか?音が鳴ることと明かりをつけては命令が伝わって無いということなのか?
兎本舗の和菓子とか?そしてそれも監視されているということかな。そんな歌が多いのが最近の短歌の特徴か?
『ひたくれなゐに生きて』「花は艶かもしれないけれど(俵万智)」齋藤史
歌集だと思ったらインタビュー集だった。最初が俵万智で祖母と孫娘のような感じで昔の思い出話を語る。馬が好きなこととか田舎暮らしの大変さとか。ただ全体的には明るい対話で相手が俵万智のせいかもしれない。2.26事件のこととかは語ってない。
昔の短歌結社(塾のような)厳しさとか。「アララギ」にいたのか。そこで大体短歌の基礎を習ってそれでデビュー作『魚歌』を出した。その歌集は歌人には全然見向きもされなかったが詩人や小説家に注目されたのだという。
まだ軍国主義の時代でもなくエポックメーキングの時代にあって海外から様々な文化が入ってきたモダニズムの時代。主に映画からの影響だという。カール・ドライヤーの映画とか見ていたのかもしれない。保守的な短歌とは違っているわけだった。それでも『魚歌』には恋の歌は一首もないという。そういう時代ではなかった。そして戦争になっての疎開生活。
農村の女たちは動物並の扱いだったとか。嫁の立場の厳しさ。米をよそうしゃもじを間違えただけで離縁させられるとか。女中扱いだったようだ。そんな中でも苦労したが農村に留まっているのは不思議な感じがする。葛原妙子はそういう困難な時期を体験したが都会の戻ってきているのだ。都会で家が買えなく夫が病院を辞めることができなかったというが。
対談相手が俵万智だから昔話に花が咲くという感じで、得るところが少ない。男社会で厳しかったというぐらいか。アララギにいたら男のように短歌を作らねばならなかったとか。それで釋迢空が「女歌」といい始めて女性歌人が出てきたのだった。そういうところをもう少し深掘りできればおもしろかったのだが。
今日も欲張りすぎたな。現代短歌を知りたいと短歌雑誌を読んでいるのが長くなる要因か?他人の短歌とかあまり観賞しないので勉強というか研究。
映画短歌
今日は、『風よ あらしよ 劇場版』
本歌
レベルが低いな。まあ、徐々に。NHK短歌考えよう。