伝統和歌の中の異端性
『短歌定型との戦い―塚本邦雄を継承できるか?』小林幹也
塚本邦雄の短歌や批評はそれまでよく分からなかったのだが、それは塚本の二面性(それは塚本の捉え方の違いであって、彼の中では一つに繋がっているのだった)、前衛短歌であると同時に伝統を継承するものとしてあり方だったのだろうと思う。
前衛短歌と言っても塚本邦雄の中にあるのは和歌の古典性への憧れであり、保守的な人だと思っていた。ただ彼が桑原武夫「第二芸術論」に行き着くのは和歌の伝統として五七五七七を外れた歌はいくらでもあるし、伝統の中にも異端性はあったのである。
例えば、上の業平の歌は、それまでの和歌の定形には収まりきれないリズムであるし、句跨りにしても塚本は芭蕉を模倣したと言っているのだ。
その延長線上に塚本邦雄の短歌を置いてみるとわかりやすいかもしれない。
業平の繰り返す言葉(リフレイン)と芭蕉の句跨りのテクニックとして見ればまったくわからないことはないだろう(内容はわかりにくいかもしれないが)。韻文の短詩は音の繋がりが何よりも重要なのである。そこに塚本邦雄は音楽的なものから、西欧のシュールレアリスムから絵画的要素を持ち込んだといわれる。
塚本が日本の伝統だけでなく、西欧の影響を受け(塚本の聖書の引用の多さよ)、自身の短歌に活かしているのだった。塚本邦雄のあらゆる文化に対する見識、その源は美ということなのだが。短歌を定形に閉じ込めてしまうあり方ではなかったのだと思う。
目次からもわかるように塚本邦雄の継承ということは、従来言われてきた前衛短歌の雄(今では言わないか)から短歌の伝統を継承する歌人としての塚本邦雄を見ていくという批評である。
そこで著者が注目するのは三島由紀夫との関係であり、三島由紀夫が前衛文学の人というよりは日本の伝統を継承してきた人と見るのだ。それは三島のパフォーマンス(肉体)ではなく、三島の精神性を言っている。
例えば三島由紀夫の忌日を憂国忌とするのではなく、奔馬忌と呼ぼうというのは塚本邦雄の短歌から伺える。
三島由紀夫を日本の伝統主義者というよりも文学の改革者として捉える。そうした伝統文学から異端性まで塚本邦雄の短歌は絶えず保守的なものとの戦いではあったのだがそれは斎藤茂吉の短歌からも象徴性を読み取ることでもあったのだ。