働く5/36歌仙
『うたわない女はいない』働く三十六歌仙
解説に俵万智t吉澤嘉代子(シンガーソングライター)。「おしごと小町短歌大賞」の受賞作なのだが、セミプロという人も混じっていて、「おしごと小町大賞」とかのコンテストなんだが、プロ(短歌で食えてないからセミプロ)が参加していて、アマチュアとの差は個人なのか社会なのかということだと思った。だいたい和歌が貴族の働かない者たちの文化だった(女房たちは働いていたのか)、その中で上司の男(天皇を頂点として)を喜ばす疑似恋愛短歌を詠んでいたのにと思う。働く三十六歌仙という言い方も歌仙だから歌だけで喰っていける人なのかと思う(将来的に)。選者が俵万智とシンガソングライターで食っていける人たちなのだ。それに対して非正規のハケン社員の歌とか悲惨極まりない。
これが大賞だった。こういう会社は不合理なんだけど不合理性がまかり通っている企業の中で、プリキュア(プリキャリアか?)にならなければやっていけない日本社会の現状だった。それは共感するということで、誰もが許してしまっていいものだろうか?
たとえば医療従事者の人が人を切り刻んだり薬漬けにしながら社会復帰させるのは、またポンコツになるのがわかりきっているのにやらなければならない仕事だと納得させているという。そういうエッセイ付き短歌だからエッセイの方が読ませると思う人も。
竹中優子
『うたわない女はいない(働く三十六歌仙)』から。芥川賞候補になった竹中優子が入っていたから図書館で借りた。竹中優子は小説家よりも歌人として最初に出会ったのだが、ここでも面白い短歌を詠んでいた。
短歌は一人称の文学と言われるのだが、三人称視点。でも本人だから一人称的ではあるのか?「パートリーダー」という現代の言葉。非正規雇用の実体を詠んでいるような。すでに小説的である。
非正規雇用の実体なんだが、愚痴でありながら新人も生き残りに必死な姿を感じる。
竹中優子の面白さは固有名詞を使わずにキャラ設定して登場させることかな。髭敬語=卑下敬語よいうようなあだ名は上司には呼べないか。
平岡直子
けっこう天邪鬼の歌人で好きなのだがけっこう本質を突いていると思う。
プリキュアよりドナドナなのだ。市場に運ばれていくドナドナ。平岡直子は短歌のために両手を空けて生きてきたという。それはまともに働くことなく、いつも非正規労働なのだ。それも身体が動くから出来ること。年老いての仕事だとは思わない。だから両手を空けて短歌を作りプロになろうとしている覚悟性があると思う。
立ちん坊(ガードマンとか)とかのハケンだろうか。この歌は現実だ。
彼女にはたくましく生きのびてほしい。
上坂あゆ美
いまをときめく歌集『老人ホームで死ぬほどもてたい』の歌人だった。
こういうことを云う企業が一番の害悪なのに。人が呼吸するだけの二酸化炭素では地球は消滅しない。
謝り癖がつくというか、とりあえず謝っとけみたいな。女性では特に多いのか?
青汁健康法とかスクワットとか。毎日走って結局膝を壊したり。
初谷むい
初谷むいは短歌呪術師と認定する。定型を無視した形なれど「みたい」の三回リフレイン。すでに呪文を唱えているのだった。好きな男のを職場へ召喚する言霊力は半端ない。
初句のインパクトは現代短歌の常道なのでそうである(俵万智談)。月をみてないのに存在を感じられる当たり前の短歌だけど、言葉にするとすごい。神に通じる。
むいは無為からきているのかな。言霊力が半端ない感じ。「さあ」が御呪いで さあ。
野口あや子
帯の宣伝短歌として使われたので人気だった。コピーライティング短歌のようなのは「シャネルのバッグ」で「撲ちたい(ぶちのめしたい)」という強い庶民の願望か。
「Japanese traditional poet」という主張が「成り上がり感」を示す。彼女は英語が出来なかったのだが自主的にえいごを勉強してこのレベルまで成り上がったということだ。帰国子女のゴーストライターとかで食っていけそうだ。
国際的にはHAIKUの方が流行りなんだろうな。TANKAはまだマイナーポエットなのかもしれない。