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「消え去ったアルベルチーヌ」の裏で起こる母親たちの陰謀論

『消え去ったアルベルチーヌ 』プルースト (翻訳)高遠弘美(光文社古典新訳文庫)

プルーストが死の直前に自ら手を入れた最終稿、ついに邦訳!

ちくま文庫の『失われた時を求めて9第六編「にげさる女」』はガリマール版であり、本編では第六編「逃げさる女」の別ヴァージョン(グラッセ版)で随分簡略化されている。その分ストレス無く読めるが、その苦労がない分もの足りなさもあるのも事実である。

高遠弘美翻訳(光文社古典新訳文庫)は、第三篇「ゲルマントのほう」でまでは出ているので、そのあとにいきなりこの巻が続くと戸惑いはあるようである。また独立した作品とするにはわからなさが多い気がする。プルーストの大まかな感じを一冊で得るにはいいかもしれないが、それは『失われた時を求めて』の一部でしかない。

あと高遠弘美訳の読みやすさはあると思う。脚注がそのページ内にあるので、いちいちページをひっくり返してよむ必要がない。それは読書の楽しみを奪うものなのだ。その結果この本の半分以上は、実はグラッセ版編集者の解説となっている。ほとんど読むことが出来ないのは、そういうナビゲーションは面倒臭いからだ。編集者によって作品の方向性を決められることは何よりもうざいものだと感じてしまう。

それでも本編を読む限りでプルーストの面白さはある。それは他者性ということなのか、男(当時は女を所有するという関係があった)と女の考え方の違い。さらに女の帰属する社会と男の帰属する社会の違い。これは何よりも自分の力でどうにも所有出来ると考えていたブルジョワジーの敗北の物語である。

情景としては、サン=ルーの交渉失敗、フランソワーズのいらぬお節介とかあって喜劇的な面白さある。ただアンドレの暴露話がカットされていた。そこはかなり重要なんだが。

もっとアルベルチーヌに対してはこの本でも未練タラタラなのだ。その感情はより分析的に語られる。そして、それが終わるとヴェネチアに旅立ってしまうのも同じだ。ただ語られていない部分は分析的になれない語り手の心情なのだと思うと、ここで分析的になるよりも感情的にいつまでも未練タラタラの方がこの長編小説には合っている気がした。

何故ならその語られない部分は、まさに語り手の核心をついていることだからなのである。一つは貴族になれない結婚の話題。それはアンドレが語った新事実なので、もはやアルベルチーヌには確かめようもないことなのだが、それこそが彼にとっては陰謀論めいて(それはこの小説における政治的なものも含んでいる)、想像力を膨らます結果となっていく。

さらにその結果としてのアルベルチーヌとジルベルトの手紙から引き起こされる勘違いのアルベルチーヌ生存説(幽霊話のような)がこの本ではカットされていく。それは分析的には正しいのであるが、愛の物語としては薄っぺらいものになってしまった。

そして母の愛情でまとめ上げてしまうのが目立ってくるのだ。この時代のフロイトの分析のようなマザコン男がそこにいる。



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