柿なれば柿は喰わずも柿を詠む
また去年の写真。今日は子規忌だと昨日書いたのだが(子規忌は九月だった)、子規がくだものを好きなのは病気だからという。「くだもの」は「腐るもの」から来たというのを子規のエッセイに書いてあった。なるほど、確かに腐るものだが、野菜も腐るではないか。腐るが熟すという意味もあって、それで甘くなる。ただ柿を食いすぎると腹を壊すとあった。普通そんなには食べないが子規の場合樽柿で七つか八つとか書いている。そんなに食べて寝ていたら腹も痛くなるだろうと思う。俳句で一番詠まれているくだものはやはり柿だろうか?今日の一句。
だいたい日記で俳句は季語的なものを詠むようにしているのだが、短歌は時事詠でいいかなと昨日思った。日常詠はそれほど面白くないし、外への関心の持ちかたで、その時にどういう身体状態だったかを読んでいく(これは理想)。俳句や短歌を詠むのはいざというときに詠めるようにしておくのが、俳人としてのなりわいなのだ。暇人のなりわいかも。ただ貴族はそういうものだったとか。今日の一首。
トランプに入れるわけがないのだが、顔ぶれがいつも同じで当選も同じ。新興住宅地なので革新が強く、そして自民党の若手議員は比例区で入る仕組み。選挙も投票しても同じというのがあるけど、裁判官投票もあるから。
昨日は土曜は映画の改編があるので、土曜日に観たい映画を見ることにしたので、結果引きこもりだ。買い物には出たのだが、足の豆が潰れたところがまた割れてきてしまった。しょうがないな。新しい靴のせいだろうか?靴に足を合わせるより、足が靴に合ってくるのだった。
読書。『杜甫 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』。読み放題で。杜甫は李白に出会ってから、天才は思想がないからと詩作に努力したとか。でも李白の方が好きかもしれない。『ナジャ』を読むがなかなか本題に入っていかない。そういう話だっけ?