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立冬に羽ばたく羽なく冬眠す

立冬になったら急に寒くなってきたのか、その言葉に寒気がするのか、これも言霊の力なんだか、すべて寒さのせいで引きこもりだな。前世は冬眠動物だったな。爬虫類か?

ハン・ガン『別れを告げない』もあとを引きずる読書だったのかも。爬虫類と言えば鳥も爬虫類の生き残りで、氷河期に翼竜は飛び続けたので生き残れたとか。そんなに飛んでいられるのか?とも思うけど、その話は浪漫がある。だったら眠りつづけて生き残ったものもいるかもしれん。生存の方法としてどっちが優秀か。エネルギー保存の法則とエネルギー普遍の法則の勝負なのか。エネルギー不変の法則は保存の法則と同じらしいから、慣性の法則か。一度習慣化されたら留まることが出来ない。会社人間も働かざるもの食うべからずという慣性の法則で生きているのではないか、などと無職は考えるのだが、できるだけエネルギーを消費しないように生存しようというのが今の自分の姿か。今日の一句。

立冬に羽ばたく羽なく冬眠す 宿仮

洗濯をしたら外に着ていく服がなかった。洗濯物も乾きにくくなっている。もうタイツは必需品になっているし。

まあ、家には読む本だけは膨大にあった。昨日も図書館に返却せねばならない本の優先順位として、『日中競作唐代SFアンソロジー-長安ラッパー李白』を読んで、漢詩が読みたくなる。風呂ラジオで「漢詩を読む」を聞いて、やっぱ唐詩だよなと思いながら『唐詩選』買ったはずだが本が見つからず、『漢詩百選』を読み始めた。

この選出をしたのが高橋睦郎という詩人で、俳句や短歌も漢詩まがいのものを読むのでとっつきにくいと思っていたのだが、そうか彼のルーツは漢詩にあったのだと思えた。この本も『文選』の漢詩から選ばれているような気がした。最初は『論語』なんだけど。そうか最初のアンソロジーが『詩経』ということだった。その次が『荘子』の「胡蝶の夢」だった。胡蝶は飛んでいながら寝ているので、エネルギー保存の法則と慣性の法則で生きているのか、それで夢現に生き残ったのだと勝手に解釈する。杜甫が孔子型で李白が荘子型という。

『日中競作唐代SFアンソロジー-長安ラッパー李白』は短編集なので気にいりそうなだけ読めばいいと、『破竹』梁清散を読む。梁清散は劉慈欣『三体』の次に注目すべき作家だという。『破竹』はの安禄山の乱頃の話で唐の朝廷が密使(スパイ)を送り込み、そこで出会うのがパンダの化け物で 祥獣しょうじゅうであるとされる。中国の漢字は難しくて苦労する(読みがあやふやだから書き出せない)。安禄山の風体がパンダ体型なのかと思うとパンダを兵として操るというのはあるかもしれない。その秘法が竹の紙(パンダの糞でできている)に書かれて、それを書いたのだが中国でも有名な書家だったということなのだ。

つまり、それは文字にすることで言霊的なものを呼び寄せる力が祥獣を操れるということなのかもしれない。このへんの中国の歴史の奇想天外さとSF的アイデアは相性がいいんだろうなと思う。パンダをパロディとした『カンフー・パンダ』『呪術廻戦』でもパンダが闘う高校生を描いているので、それほど奇抜なアイデアでもないが安禄山と結びつけたのが面白いかな。

詩の方は田村隆一の詩集を借りてきたのだ。これも酔っ払い詩人でそういう視点で読めば面白いのか。李白の系譜というような。そうすると鮎川信夫が杜甫の系譜なのか?あまりこうした分類は意味をなさないのだが分類することで整理できるのもあるのだ。

田村隆一はエッセイも面白いと思うが、それはいい時代の自慢話的に聞こえるからかな。やたら知識人と交流があって、人好きする性格で酔っ払いという。最初にイメージ付けられたのが北村太郎のドラマ『荒地の恋』(ねじめ正一原作)だったので妻を取られたどうしようもない酔っ払い詩人というイメージが付いてしまった。

鮎川信夫より田村隆一のほうが持て囃されるのは、昔の詩人だったからだろうか?良き時代のモダンボーイ的な雰囲気を引きずってダンディな爺さんになっていた。鮎川信夫だと愚痴っぽいのだ。田村隆一はあっけらかんとして自己中を突いているのかもしれない。そういう部分でエッセイはおもしろいのだが、妻に出ていかれるのもわかるような気がする。

今日の一首。

氷河期を胡蝶の夢に飛び続けヒグマの夢は蝶になること やどかり

パンダでもいいのだがファンタジーに偏りすぎかと思ってヒグマの凶暴さを出してみた。

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