霧深き天皇制を出家する浮舟
『新源氏物語 霧ふかき宇治の恋(下)』田辺聖子
人形(橋本治は形代と言っていた)だった浮舟がコトバ通りに形代として宇治川に身を投げ自害する。横川の僧都に助けられて生まれ変わった浮舟はもう人形ではなく、はっきり自分の意志を示す女性になっていた。それが出家という家族の縁を切らねば、家族の関係性も断ち切らなけれならないほどの強固な男尊女卑のシステムがあったのだ。薫が弟君を使いとして浮舟の元にやるのは、「空蝉」の喜劇であり、すでに家族の縁を切っている浮舟は薫の思惑通りにはならない存在だった。横川の僧都が妹尼の意見を聞かずに浮舟を出家させたのも仏に仕えるという意志のもとだ。仏教が天皇制の避難所になっているのかと思った。
匂宮のプレイボーイぶりは光源氏を彷彿させるが、光源氏はまず手紙を書いて(和歌を送って)から行為にいたすなどの作法があったという。それも強引になってはいたと思うが、匂宮はさらに酷いということか?
しかし薫の優柔不断さは時として匂宮の方が魅力的に感じてしまうこともあるようで、薫としてみればどうせよと言いたくなるだろうが、形代という身代わりということを捨てきれなかった。それは日本人が母性から離れられない民族だからだろうか?光源氏も母の面影というのが最初の契機になったのだし。母思いの息子たちの話ではあるが、そこに女を愛することにも母の影がちらついていく。薫の優柔不断さは女三の宮の不幸にあった。
その女三の宮も出家して、新たに浮舟が出家することによって物語の幕を閉じていく。